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それでも一度きりの場所で

こんにちは。4回生漕手の高橋空吾です。

あと約50日でインカレです。ボート人生で最後の大会です。

当部では、時々ミーティングなどで「何でボートをやっているのか?」という問を耳にします。それはそうですね、僕たちはボートをやる目的でこの大学に集まったわけではないですし、常時このような問を意識することを強制することは違うとは思いますが、そのようなことを頭の片隅に置きながら活動を行うことにも意義があるのかもしれません。

その上で時々考えること、僕は何で、多くのリソースを犠牲にしてボートを漕いでいるのでしょうか?その明確な答えは自分でも分からないです。ただひとつ、“ボートが楽しい”、その一点だけは外さないでここまでこられたと思います。その反面で、“ボートを楽しむ”の内実は時々刻々と変化している気がしています。

高校生の時は、ただボート競技が楽しいというよりはボート部が楽しくて、ボートをやっていました。今思えば自分の努力不足は明確ですが、ボート競技自体はあまり楽しくなかったですね。はじめて1年目の時はボート競技の概要や求められている能力が何となく分かってきて、あ、これは自分には向いてないのかもな~とか思ったりしましたが、そんなのは言い訳に過ぎず、それでもチームメイトと艇庫で遊ぶのが楽しかったので、それをエネルギーにボートを続けてきたのは今考えても納得です。そんな感じだったので、チームとしてはほとんど結果を出せないまま、3年間を終えましたが、これはこれで今の自分を形成する上で、間違いなく本質ではないけれども、“ボートを楽しむ”の大切なことを教えてもらったと感じています。

その一方で大学では、ボートそのものの楽しさを感じることができていると思います。ボートへの意識は見間違えるぐらいに、艇速は比較にならないほど向上しましたし、特に最低限の知識がついてきて自分で考える土壌が形成されたことが大きいです。殊更誰かに漕ぎを強制されることもない分、自分で試行錯誤する機会が多く、その分数え切れないほど失敗もしてきましたし、最近もうまくいかないことだってたくさんあります。

最近は関西選手権も国体ブロック予選も、何かが空回りしたような絶妙な不調で、出し切れないままの結果に終わってしまい、正直ふがいないといわざるを得ません。インカレクルーでエーススカラーと久しぶりに一緒に漕いで、頭では分かっていても見失っていたものが浮き彫りになってきたと思います。自分の弱点は何か、分かっていながらもうまく漕ぎで表現できないこともありますが、それも含めて、ボートを理論的に積み重ねながら、他者とコミュニケーションをとる。当たり前ではあるのですが、この思考と対話のプロセスを循環的に扱えるようになったのは、ここ2年半とかそのあたりなので、まだまだ未熟であることには変わりませんね。このサイクルを、最後まで回し続けたいと思います。

このような経験の中を踏まえて、クルーボートは本当に難しくて楽しいです。価値観を共有する、それは強制するのとは異なるもので、決して自分の価値観に盲目になってはいけないですし、他人のものを全肯定する必要もない。誰の価値観が絶対に正しいということはなく、混ざり合いながら全体最適を見つけていく過程を、その楽しさと共に、多くの人に教えてもらいました。

駄文になりましたが、大学でボートを選択して本当によかったと思います。部活以外の事が忙しくて凄く苦しかった1回生の頃、満足に活動できず逆に暇で抜け殻になった2回生の頃、限りなく“ボートを楽しむ”を見失っていたこれらの時期も頼もしい同期に助けられながら、何とかやってこられました。ひとりだったらこんなことしてないですしね。誰とはいえない程に多くの方々に感謝を申し上げたいと思います。

謎の動機でボートを始めてから約7年、気がつけばもう終わりがそこまで来ています。

同期の中には何人か(?)院生になっても漕ぐ人がいるとかいないとか、よくわからないですが、僕はもういいかな~という感じです笑

というのは置いておいて、コギカジさんの記事で2年前の京都大学ペアの優勝を取り上げてもらった記事の見出しが『それでも一度きりの場所で』でしたね。僕はこのタイトルがとても好きです。ボートを漕ぎ続けることは、大学を卒業した後も、大学院にいった後や、社会人になってクラブチームで(競技としてか趣味としてかは問わず)行うことは可能です。その上で、大学生としての4年間は一度きりの、かけがえのない時間であることを噛みしめながら、インカレでは納得のいく結果を求めて漕ぎきりたいと思います。

そしてブログ当番表をみると、僕がブログを書くのはおそらくこれが最後です。

京大ボート部のブログをご覧になっている皆様、今までありがとうございました。

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