4年間頑張ってきて良かった。

4回生漕手の吉田紘子です。ついにラストブログです。

何を書こうかずいぶんと悩みました。4年間苦しかったことの方が多くて、4年間続けるというのは決して簡単なことではありませんでした。続けてこれたのは、もちろん人に何度も救ってもらったお陰でもありますが、結局は自分自身で答えを見つけてもう一回頑張ろうと奮い立たせることができたからです。だから最後くらい苦労して頑張ってきたことの自慢でもしようかとも思ったのですが、悔しいことに自然と漏れ出たのはこの言葉でした。

「あれ?なんか今幸せかも。」

出てきたのがこの言葉だったことがとても悔しいです。なんでかって?苦しかった思い出がもう美化されてしまったように思えるからです。あんなに苦しかったはずなのに、京大ボート部のことが大嫌いになってこんな部活辞めてやるって叫んだ日すらあったのに、私の苦しかった思い出はもう美化されてしまったのでしょうか?

美化されてしまった、と言えばそうなのかもしれないですが、言い換えれば特にこの1年は3回生までで地道に積み上げてきたものがようやく実ってきたと感じるような一年で、だからこの言葉が出てきたのだと思います。

私はコロナ流行によりボートを漕ぐどころか部員数人で会ってコアトレをすることすら許されなかった時代に入部しました。ボートを初めて漕げたのは入部して半年後の9月でした。その後も制限がきつかったり活動停止になったりして、他の大学の人や経験者にいつまで経っても追いつけないんじゃないかとずっと不安でした。結局全ての活動制限がなくなったのは4回生の5月でしたが、制限がある中でも何とか頑張ってきて、制限が緩むにつれ努力も結果として現れるようになっていきました。

一回生の秋季。コロナの制限がまだまだ厳しかった。今では昔話。
一回生の秋季。まだまだ活動制限が厳しかった。今では昔話。

2回生の東大戦ではペアで優勝して、人生で初めて優勝カップを手にしました。

3回生の春にシングルで全日本選手権に出場できました。100回記念の大会でした。自分以外の全クルーが最終日に行ったのが死ぬほど悔しくて、一人でホテルで死ぬほど泣きました。でも悔しくてここまで泣いたのはこの日が最後でした。この日を境に私は強くなれました。

3回生のインカレでは最終日に行って入賞まで一歩のところまでいくことができました。悔しかったけど充実感がありました。

この前の7月の関西選手権では17クルー中2番になりました。規模が大きめの大会の中では過去最高順位でした。

7月末には国体の近畿ブロックで京都代表として鹿児島国体の出場権を獲得しました。

全然偉くないのに強豪の主将みたいな位置に座らせてもらった。

小中高で水泳、陸上をやってきて、規模の小さな大会で勝つことはあっても全国大会なんて指の先も届かなくて、国体の都道府県代表なんて夢のまた夢でした。水泳と陸上はかなりのメジャースポーツで競技人口もかなり多くて、それに比べてボートはマイナースポーツと言われ競技人口も少ないので確かに上には上がりやすいと思います。それでも、水泳や陸上ならあと100年やっても達成できなかったと思うようなことをボートでは達成することができました。

高3の時の陸上の引退レースは、相手との実力差が分かっていて「多分勝てないな」と思いながらも最後だし頑張ろうと思って自己ベストを出して終わりました。自己ベストを出せたことには満足しつつ、勝ちたいと思って引退レース挑む同期と比べて、勝つ気でレースに臨めなかった自分が不甲斐なく感じて、同期の引退レースを見ながら泣きました。

でも、今は達成したい目標があって、そのために今まで頑張ってきて、インカレに向かってただひたすら上を目指して毎日頑張れています。目標なく最後のレースを迎えることがいかに辛いことかわかっているからこそ、目標を持って最後まで頑張れることがいかに幸せなことか、噛みしめています。

女子主将としては、1年間やりたいようにやってきました。自分が女子漕手に関して一年間やってきたことにはかなり満足していて、香川さんには近年で1番上手く行っているって言ってもらえたこともあります。やりたいことを自由にやらせてもらえたのも、女子幹部のかずもりはらまおふくみさん、それと全体の幹部のメンバーのお陰です。こいつ、やりたくないこと(面倒なこと)は全然やらないじゃないかと腹が立ったこともあると思いますがたくさん助けてくれてありがとうございました。

今2-4回生の女子漕手は7人いますが、4回生一人に対して後輩がたくさんいて、たぶんみんな慕ってくれていて(笑)、一人でも全然寂しくなかったです。一回生が加われば女子漕手が12人になります。これはここ数年でかなり多い方なのではないでしょうか。女子は人数が少ない分、その時代にたまたまエルゴが回る人がいるかどうかで強さが決まってしまうところがあります。たまたま1年違いでエルゴも身長も体重もほぼ同じはらまおが入ってきてたまたま二人ともスカルが好きでお互いにダブルで戦おうと思えたのも、奇跡みたいなものです。でも、単純に考えると人数が増えたらその中にエルゴが回る潜在能力がある人が含まれる確率が上がって、競争環境もできて乗れる艇種の幅も増えて、チームとして強くなれる可能性が広がります。

私が一年間女子主将としてやってきたことには満足していますが、私が目指しているチーム像にはまだ及ばなくて、そこにたどり着くには少なくともあと1、2年はいると思います。具体的には対校で大艇を出して、インカレを大艇で戦えるようなチームになっていってほしいです。さっき「エルゴが回る潜在能力がある人」と書きましたが、もちろん元から体力があって1回生、2回生のうちに7:40台、7:30台で回すような人が出てきてくれたらそれは嬉しいですが、元の才能はなかったけど3年、4年かけて地道にトレーニングを積んでいって、3、4回生になってようやく8:00や7:50を切れる人が出るような「入ってから育つ」人が出るようなチームになる必要があると思います。理想のチーム像を掲げといてなんですが、私が来年漕手として残るかどうかはまだ何とも言えないので、それに関わるかどうかの明言は避けることにします。

さて、「もう引退しました」みたいな文章になってしまいましたが、インカレはこれからで、残された期間は少ないです。最後に、最近はまっている曲の歌詞の一節に想いを託して終わります。


どうせ自分なんかって 挑戦から逃げ出して 傷つかないように守ってた
でもそれでいいのかな?このまま終われるのかな?
まだ早い 終わるには何も成し遂げてないだろう

(仲村宗悟「ゆらゆら」歌詞抜粋)

全国レベルで戦うことが夢の夢だったあの頃の自分はもうここにはいません。今の自分には、4年間苦しみを何度も乗り越えて掴み取った自信があります。

絶対に最終日にガッツポーズしてハイタッチして、幸せを噛みしめながら船台に帰ってきます。

応援よろしくお願いします。

6か月前