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また明日

お久しぶりです。4回生の江島です。

自分の心情を対外的に発信する機会なんて、この先そんなにないだろうなと思いつつ、この貴重な1ページの上に筆を走らせ始めました。

もう1週間後には現役部員でなくなっているのですが、まだ全然実感が湧きません(笑)。最後の配置も明日で終わりです。

 

書きたいテーマが3つあるのでそれぞれについてまとめます。

 

1. よくある問い

最近、考えることがあります。

もし自分がボート部に入っていなかったら、大学生活はどうなっていただろうか、と。そして、この種の疑問は他の4回生からも最近よく聞く気がします。

ボート部にいると、「もし違う道を選んでいたらどうなっていただろう」と思うことがあるかもしれません。留学していたら、体育会ではない他のサークルに入っていたら、勉強にもっと集中できていたら…。実際に僕も何度もこの問いに対して向き合いました。「ボート部に入って正解だったのか。」何度そう問いかけても答えは見つかりませんでした。

そんな中、あるとき、ふと過去の自分を振り返ってみました。中学時代の自分と高校時代の自分は、当時の選択をどう思い、当時の自分を幸せだと感じていたのか。記憶の片隅に閉じ込められた感情を掘り起こしてみたところ、その感情は、決してポジティブなものではありませんでした。中学でも高校でも体力が必要な部活に所属していたので、単調な練習の日々を鬱陶しく感じており、早く引退の日が到来しないかなとずっとそわそわしていた気がします。しかし、今の僕からしてみれば、あの毎日はかけがえのない黄金の日々でした。みんなで文句を言いながらも厳しい練習に汗を流し、一つの目標に向かってただひたむきに努力をする。大した戦績は得られませんでしたが、今になってその過程に価値を見出すことができました。

 

このブログを読んでいる後輩に、そして同期にお伝えしたいのは、第一に、現在の自分の状況に対する評価は主観に依拠してしまう部分が大きいので、幸せではないと決めつけるには早計すぎるということ。第二に、5年後10年後に振り返ってみて「あの頃は幸せだったな」と感じることができるようにするためには、自分の選択を信じ、目標達成のために最善を尽くすということです。

ボート部ではない他の人生を歩んでいた可能性を想像し、ボート部にいる意味を見出せなくなるときがあるかもしれません。しかし、人生は不可逆的なものである以上、過去の事実は教訓の域にとどめておくべきであり、現状を認識し未来に思いをはせる方が重要であると思います。割り切るのは難しいかもしれませんが、道は既に自分で決定したのですから、その道の中で最高の結果を得ようとするほうが得だと思うのです。現状の中で満足のいくように努力をすれば、その苦労した日々は月日を経ていくうちに醸成され、やがて黄金の思い出へと変化するでしょう。今は思い悩むことがあっても、自分の選択した道に対して全力で挑む姿勢は忘れないでほしいと思います。

 

 

2. かつて天才だった俺たちへ

テーマはcreepy nutsの曲から。

僕は大学生活の大部分を勉強とボートに割いてきたのですが、その双方ともうまくいっていたとは思いません。特に勉強。やればやるほど、自分の知識不足と能力不足を痛感させられます。その結果、勉強の目標も下方修正していき、大学院の入試も受かるかどうか心配で毎日不安な日々を過ごしています。無力感に苛まれ、閉塞感が心の容量を圧迫し、取るべきことに一向に手についていない状態です。

話は変わって、法律の勉強を始めた当初を思い出してみます。知らない本、知らない言葉。自分の知らない世界に飛び込むときの胸の高鳴りは、僕に「今から勉強を頑張れば将来何にだってなれる」という全能感すら与えてくれました。

ボートについても同様の体験がありました。最初のうちは、ぐんぐんとエルゴのスコアが上がっていき、2000m7分を切るのもそう遠くはないと勝手に思っていました(現実はそのように甘くはありませんでしたが)。みなさんの中にも僕と同じような感情を抱いた人もたくさんいると思います。

そして、ある時点で壁にぶつかり、そのような初心者ゆえの全能感からくる激しい勢いは消え去ってしまいました。苦しみ、葛藤しながらその壁を乗り越えるのも自分が成長するために重要かつ必要なことであるのも理解しています。しかし、壁を乗り越えた後の自分の活動の原動力は、そのような全能感ではない別の何かに変化してしまいます。僕はこれを非常にもったいないと思うのです。初心者が新たな世界に飛び込むときの無鉄砲な全能感を燃料にずっと飛び続けられたらいいのになあ。

当時そのものの全能感ではないにせよ、どのようにすればこれと似た何かを身に宿すことができるかを考えたところ、当時の自分の感情を思い出すことが重要なピースだと思いました。初心者当時の新たな世界に対するわくわく感、義務ではなく楽しむことを目的としていた勉強、可能性にあふれた輝かしい未来。それらを思い出すことにより、自分がいま進んでいる道が、当時の可能性にあふれた自分が選択した道である以上、輝かしいものではないわけがないと自分を勇気づけることができます。そして、そのようなある種過去の自分に背中を押されるような形で前へ進んでいこうとすると、自分の現在の悩みに対する回答が見えてくる気がするのです。

ボートについても同じことがいえると思います。最後のインカレを控えた4回生の同期には、ボートの大会で勝つことを夢見て入部してきた当時の自分ことを思い出してほしい。そうすることで、勝てるかどうか不安だったとしても、入部当時の自分が背中を押してくれるはずです。

「かつて天才だった俺たちへ 神童だった貴方へ 何にだってなれたanother way まだあきらめちゃいない」

 

 

3.  「また明日」

昔、自分が将来について不安で悩んでいるとき、この言葉をかけてくれた人がいました。学校の帰り道、別れる際にかけてくれた言葉。その人は何げなく言ったのでしょうが、僕にとってはすっと胸がすく思いがありました。将来への不安がぱっと晴れた気がしたのです。暗くて先が見えない状態でも、明日は必ずやってくる。明日がやってくれば、現状に活路を見出すことができるかもしれない。僕にとっては魔法の言葉でした。

それ以来、何か悩んでいる人がいたらこの言葉をかけるように心がけています。受け取り方は人それぞれなので、必ずしも僕と同じようにこの言葉に対して特別な意味を持たせるような解釈をしてくれるとは限りませんが、それでも伝えたいのです。

ボート部での4年間は、僕に様々な学び、感情、そして暖かさを与えてくれました。僕もそれに返そうとしていたのですが、果たしてうまくいっていたのでしょうか。

左様なら、僕がこの部活にいた意味はあったといえるでしょう

ではみなさん、さようなら。

また明日。

 

4回生スタッフ。三木君は当時海の彼方にいました。
机が汚いのはご愛敬。