コンテンツへスキップ

こだまする

実に10年、ボートを続けて参りました。

言われるがままに練習に励んだ中学時代。

キャプテンになり自分の不甲斐なさに悩まされた高校時代。

そして京大ボート部。

どれも私の血となり肉となったと思います。しかし大学時代は一層濃い時間であったと感じています。喜怒哀楽のすべてを味わいました。その中で2つ、沈んだ時間を過ごしました。

 

1つ目は1回生の冬のことです。当時の僕にとってはなかなかショッキングな出来事でしたが、今となっては笑い話です。

 

2つ目は3回生の春から夏にかけてのことです。朝日レガッタ後の全日本の選考に負けてから体調不良になりました。最初は頭痛でしたがやがて吐き気、動悸、ふらつきなども現れました。大学の実験をなんとか終えると自炊するため立っていることもままならないこともありました。ボートも続けて漕げるのは500メートルほどでした。練習をまともにできない時期を過ごし、6月が終わるころに1か月ほど休部することを決めました。時間を経るにつれ体調は快方に向かいました。それと同時に部に戻ることに迷いが生じました。秀でた漕力も体力もなければ、特に仕事を任されているわけでもない。むしろ体力では劣っている。ボート部における自分の役割とは何だろうか。自分は部活をやっていていいのだろうか、と。このまま忘れてくれないかとさえ思いました。しかし特に行動を起こす勇気もなく8月初旬になんとなく復帰しました。まわりがインカレに向けてハードな練習しているのに対して自分は低い強度で漕いでいるのには肩身が狭い思いをしました。合宿所にいるのが場違いな感覚さえ覚えました。そんな時、同期の清水が、「小幡がいると合宿所が明るくなる。」と言ってくれました。おそらくそんなことはないです。ただそれを聴いて自分の居場所をここにある、役割がなくてもここにいてもいいのだと思えました。思えば休部中にもたくさんのやさしさをいただきました。奏雅はこまめに連絡をくれたし、小杉は東大戦の電話かけをやらなくていいと言ってくれた。監督は、ここから頑張ればいける、みたいなことを言ってくださいました。梶原や岩田は講義の板書を見せてくれた。このやさしさは生かせませんでした。ほかにも色んな方の支えがあって、今の自分があると感じています。

 

この時だけでなくボートを始めてから今まででたくさんの人のご尽力があったのだと最近になってまだ少しづつで、すべてではありませんが気づけるようになってきました。その人たちのためにレースで全力を出すのはもちろん、言葉でも感謝を伝えたいです。

 

思えばこれまでの競技人生で、ボート漕ぎたいと思ったことはほとんどありませんでした。どちらかといえばきつい練習をしたくない気持ちのほうが大きかった。それでも来週になればボートから足を洗うというのは半ば信じがたいです。あと少し、ありったけを出します。もうこれで終わってもいいので!

 

 

 

 

喜怒哀楽のすべてを味わったといいましたが、怒はたぶんないです。