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東大戦部門にいる理由

まだ7月も始まったばかりだというのに、30℃を余裕で超える日が続いているのが信じられない東北人、2回生スタッフの會澤です。やっぱり関西の夏は恐ろしいですね。

 

ブログの担当が東大戦後だったので、何を書こうかなあと考えていたのですが、うまくまとまらない私の想いを綴ろうと思います。

 

1週間ほど前の6月26日、第73回東大戦が開催されました!
東大戦部門の私は今大会の主担当を務めていたのですが、大会2週間前あたりから私の頭と時間の9割は東大戦で占めていたので、今はもう何を考えていいのかわかりません。
それだけ、ひたすらに走り抜けた半年間でした。

東大戦部門のお仕事はかなり多岐にわたります。同時並行で様々なタスクが進んでいって、それをどう処理したり対応したりしていけばいいのか、経験値不足の私にとってはかなりハードモードでした。東大戦部門の佳奈さんやなべたいさんに支えられて、やっとこさ大会にこぎつけられたレベルです。
本当にありがとうございました!!!

 

ちょっとだけ、東大戦までの思い出話をしますと。。。

仕事に追われたり、人から怒られたり、悩んだりしたときには「私はなんでこんなに苦しい思いをして、東大戦を開催する必要があるのだろうか」と、実は何度も思いました。東大戦部門の仕事内容は好きだったし、東大戦という歴史ある大会の主担当を務めさせていただくのは誇らしいことだとも思っていたのですが、それなりに「私がここにいる理由」みたいなものを見出せていないことに時々不安を抱いていたのも事実です。

 

そんななかでも東大戦当日はやってくるわけで、雨模様を心配していた私の時間を返してほしいくらいの晴天で6月26日を迎えました。あと数時間したら東大戦が終わるということが信じられなくて、どこか夢見心地だった気がします。

他にも、約2年ぶりに復活する受付や、コロナ対応をしなければならない観客席の誘導、YouTubeの中継、レース準備など、様々心配していたことがありましたが、部員やOBOGの皆様の手をお借りして何とか進んでいきまして、あとはレースを待つだけとなりました。

 

一番楽しみにしていた時間。そして一番不安な時間でした。

 

彼ら、彼女らがユニフォームをそろえて、京大船台を蹴りだしていく瞬間。

そして、発艇して京大船台を通り過ぎていく瞬間。

駆けつけていただいた沢山の方々の「京大いけるぞ!」「負けるな!」「頑張れ!」という声援、そして彼ら・彼女らのいつもとは全く異なる気迫を肌で感じられたのを、今でも鮮明に覚えています。

選手も観客も夢中になってボートに向かっている姿を見ることが、私が東大戦部門で居続ける理由なのかなと、ふと思いました。
あの瞬間が一番心がいっぱいで、幸せで、泣きそうになりました。

 

私が中高運動部で選手をしていたときに大切にしていたことは、自分で見つめて改善していくべきものは「態度」や「姿勢」であって、「結果」はそれに付随してついてくるものであるということです。当たり前だけど、本気になればなるほど忘れてしまうものでした。
それはスタッフという立場になっても変わりません。
勝ってほしいから、という理由ではなく、選手がひたすらに練習に打ち込んで、勝利を目指せる環境を作っていくことを大切にしたいと考えています。

まだ「スタッフ論」を語るには少なすぎる経験値なので、たぶんこれからいろいろ思うことが増えたり、矛盾するようなことを言ったりするんでしょうね。それもまた経験ですよね。

 

私はよくダラダラとしゃべってしまうので、今日はここで締めたいと思います。

今大会をサポートしてくださった皆様、本当にありがとうございました!
2回生のみんなへ、これからも一緒に頑張ろうね。心から応援しています。

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