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Incentive for Training

こんにちは、2回生漕手の丹羽崚仁です。

梅雨に入ったことで連日の雨模様ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

対面授業中止を受け試験もなくなるのでは?と淡い期待を抱いていたのですが、先日学部の方から試験を行うという連絡があり見事に期待を打ち砕かれました。勉強しないとなぁ…

さて、部活動自粛が始まって早くも3ヶ月程が経ちましたが、ボートを漕ぐことはもちろんエルゴすら全くさわっておらず、ボートと離れた生活が続いている状態です。こうなると時折湧いてくるのが「ボート漕ぎたいなぁ」「エルゴ久しぶりに引きたいなぁ」という気持ちです。なんだかんだボートの動画を見てしまう。自分でも思っていた以上にボート部での生活が身体に染み付いていたようです。

先日草刈りに参加しに久しぶりに瀬田に。漕いでるのを見ると漕ぎたくなる

そんな時考えるのは、好きと嫌いは意外と近いところにあるのかもしれないということ。

エルゴをトレーニングとして引いたことがある人ならわかると思いますが、引いている途中はものすごく辛い。走っていても同じです。もう止まってしまいたいと何度も思います。実際に漕いでいても、数千メートルを全力で漕ぎ続けようとすれば、力を緩めてしまいたい、そう思う瞬間が何度もあります。

こうしたことは本来当たり前のことなのかもしれません。トレーニングは身体を追い込むことでその能力の向上を目指すものであり、辛いのが当然というものでしょう。楽しいだけで終われるような練習ばかりではないはずです。その後になにかが待っていなければそれをやろうと思う動機は生まれません。

自分も本当のことを言えばトレーニングは嫌いです。やっているときは辛いだけで、それが自分のものになっている実感は感じられず、怪我もよくする。どちらかと言えばマイナスの側面が強いかもしれません。それでもなおボートという競技に取り組み続けるのは楽しみをそこに見いだせているからであり、ある程度好きと思えているからなのでしょう。やりきったときには達成感はあり、目標を達成できれば喜びを感じられる。そして、それに一緒に取り組んで応援してくれる仲間がいること。こうしたものがあるから、たとえ辛いとわかっていてもトレーニングに取り組もうと思うし、一度離れるともう一度戻りたいと思うのかもしれません。

もちろん今の状態が本当の”好き”なのかは自信はありません。高校まで10年間剣道をやってきましたが、剣道を本当に好きだと思えたのは6・7年目くらいからでした。なんとなく辞められなかったものが、真摯に向き合ってみると気付けば好きになっていました。好きになる少し前までは剣道のことが嫌いで、毎日剣道部を辞めることばかり考えていました。それでも、好きになることができた。今でも僕は剣道が大好きです。

こうした状況を好転させる要因は人それぞれかもしれませんが、”嫌い”という気持ちは“好き”という思いを引き出すためのある種触媒のようなものなのかもしれないと思います。嫌いになったからといってすぐに投げ出すことはせず、一度落ち着いてそれと向き合ってみる。そうすれば自分がこれまで見落としていたものが見えてくることもあります。

僕の場合、幸運なことに基本的に体を動かすことは大好きです。たとえ最初から上手くできなかったとしても、身体を動かし感覚を探りながら、目の前にある競技に全力を注ぐことで充実感を感じることができることが多いです。僕は運動をしていると無意識に笑うことあります(たまに周りに気持ち悪がられましたが笑)。楽しいと感じられると自然とそうなってしまう。これもあり、僕の場合はボートを“楽しい”と結びつけやすかったのだと思います。

まだまだ以前通りに練習できる日はしばらく来ないかもしれませんが、こうした“楽しい”や“好き”という気持ちを大事にしながらトレーニングに励んでいきたいと思います。

自分の考えをただ書き連ねる文となってしましましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

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