お世話になっております。2回生漕手の小西です。11月24日の午前1時30分、よく揺れる夜行バスに起こされ前日のことを思い返していました。
勝てなかった、悔しい。
東大戦から一日以上経った今でもその感情を忘れることができずそのことばかり考えてしまいます。
2000mを漕ぎ切ったあと、あっけなくレースが終わり負けてしまったことに対して、半分その事実を受け入れられないまま呆然としていました。もちろん漕いでいるときはみんな必死だし熱い展開もあったりして、あっけないというと誤解を生むかもしれないですが、今までのこの7分弱のために費やしてきた時間が長すぎてレースが終わってから振り返るとそう感じました。そもそもボートはたった数分のためにとてつもない量の練習を積むスポーツだということは自分でもわかっていたつもりでしたが、そのたった数分で勝てないとこれほど悔しい思いをするのだということを初めて実感しました。
数か月の間、この日のためにかなりのトレーニングを積んできました。(8月のインカレエイト解体からのことを振り返って行ってきたことを長々と書いていたのですが、結果を出せなかったのにも関わらず美談みたいになってしまうのは嫌なので封印しておきます)。
でも勝てませんでした。たしか本大会の審判長が、ボート競技は”Mileage makes champions.”、つまり、たくさん練習した者が勝者となるということをおっしゃっていました。その言葉によると、東大に勝つための練習量が足りなかったのでしょう。
大会が終わって間もない頃は、「今まで全員で積み重ねてきたことを全て出し切れれば勝てていたはずなのに」、「スタートは京大が出ていたし途中までいい勝負だっただけに一層悔しい」と思っていました。確かに良いところ全部を完璧に発揮できれば勝てる可能性は十分あったに違いないですが、それができなかったことが重大なのです。つまり、練習時に狙いを1つずつ定めて順番にクリアすることはできましたが、それらを同時に実践することは個人としてもクルー全体としてもできませんでした。僕自身、漕ぎの技術は高い方ではなく乗艇でも他の人と動きがずれていることもしばしばありましたが、練習回数を重ねる中で良い漕ぎの感覚を掴めることもあり、良い方向に向かってはいました。
でもそれだけではまだ甘すぎる。それぞれの狙いについて、良い感覚を得る割合を90%、95%と高めて無意識に、当然のようにできる段階にまでもっていかなければ本番でも良い漕ぎを再現するのは難しい、そう思い知らされました。そのために艇上でもっと良い感覚を共有すればよかった、一度できたことを忘れないような工夫が必要だった、など今さら言っても仕方がないですが〜〜たられば勝てたかもしれないという点はたくさんあります。
また最初の話に戻ってはしまいますが、至らなかった点はともかく、やはり今回の結果は悔しいです。伝統のあるまたとない晴れ舞台で輝きたかった。クルー全員で勝利の瞬間を共有して歓喜の声を上げたかった。自分たちを信じて応援してくださった方々の期待に応えたかった。解散後、某同期と夕食を食べに向かったのですが、その道中ほぼ何も会話しなかったぐらいなのできっと彼も似たような気持ちだったと思います。
その後、入った店で落ち込みながら料理を待っていると、偶然、この2か月ほど一緒に練習してきた1回生たちが店に入ってきました。悔しがりながらも今までを振り返って楽しそうにあれこれ話したりしている様子を見ると少しだけ元気が出てきました。自分は二度と東大戦クルーとして漕ぐことはないですが、およそ半年後に行われる東大戦のリベンジを彼らに託したいと思います。
そして、自分もこのまま落ち込んでばかりではいられません。正直なところ、負けたことでもっと強くなりたい、もっと上手くなりたいという気持ちは東大戦前よりも膨らんでいます。来シーズンに良いご報告ができるように、まずはこの冬季の乗艇、エルゴ、ウェイト、食事を中心とするトレーニングに全力を注いでいこうと思います。
今回の東大戦の開催に尽力してくださった皆さん、本当にありがとうございました。そして応援してくださったのにも関わらず京大に勝利をもたらすことができず申し訳ない限りです。こんな未熟者ですが、部に貢献できるように頑張りますので今後ともどうぞよろしくお願いいたします。相変わらず拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。