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東大戦を終えて

こんにちは。4回生スタッフのです。
最後のブログ当番ということで、今回くらいは中身のある話をしてみようと思います。東大戦が終わってもう1ヶ月経つので若干季節外れ感がありますが、真面目に書きたいことも書けることもこれくらいしかないのでご了承ください。

3年前に入部してから、選手だったのは2年弱、スタッフになってからも2年弱と、経歴で見れば中途半端なボート部生活でした。その中でも、ご縁あって東大戦だけは一貫して関わることができました。
初めての東大戦は、入部して2ヶ月した頃、新人一同で戸田に連れて行かれて見ましたが、正直あんまり覚えていません(すみません)。でもいつの間にか、なぜか、東大戦への憧れは強くなっていました。2回生で出られることになったときは、クルーを組んでから毎日が楽しく、充実したものでした。コロナ禍一年目で全く先行き不透明の中、開催にこぎつけてくださった運営陣の皆様にはいつまでも感謝しかありません。
スタッフ転向した理由は個人的な色々なので割愛しますが、2021年の年明けからスタッフになり、東大戦部門に配属されました。スタッフ1年目で東大戦の主担当をすることになり、色々と必死で周りを見る余裕もなく、私生活含めて苦しさや挫折を経験した一年でした。これまでマイペースにやってもそれなりに全て上手くいってしまっていた自分には、いい経験になったと思います。

今年の東大戦は、自分にとって2回目の運営で、後輩にしては頼もしすぎる後輩と本格的に一緒に仕事をすることになり、個人的には進路も落ち着き、去年よりは心に余裕を持って準備をすることができました。開催まで1ヶ月を切った6月初めになって、ふと思ったことがあります。
遡りますが私は京大に入る前は中高一貫の女子校に通っていて、そこで一番熱中したのは体育祭でした。一学年140人を6組に分け、6学年で1チームとして、中学入学から高校卒業まで同じ組で戦うもので、私含め多くの学生が熱狂する行事でした。人前に立つのが苦手な私でも、苦手意識を体育祭への情熱が上回ってしまい(?)、高3の時には組幹部の端くれや騎馬戦の種目リーダーなんかをやっていました。
この母校の体育祭と東大戦はよく似ているのです。学生主体で、たった一日のために半年以上前から準備が行われ、6月の梅雨時で天気はどうなるかと一喜一憂しながら迎える本番。揃いのTシャツを着て、卒業した先輩も見にきてくれて、緊張と興奮が入り混じった高揚感に襲われる何とも言えないあの感じ。〇〇選手権と名の付く大会とは違い、その戦績は対外的には大した価値がないかもしれない、内輪の戦いです。でも、種目を超えたチームとしての一体感や、たった1レースしかないのに勝っても負けても泣ける、内輪ならではの熱さというかキラキラしたものがある。こういうところに私は惹かれていたのだなと、今になって理解しました。
1回生の時に戸田で見た東大戦の記憶は曖昧ですが、エイトが勝った時泣いて喜んでいた1つ上の先輩方の姿だけはずっと鮮明に覚えています。今思うと、それを見て東大戦の熱量を感じ取り、憧れが芽生えていたのかもしれません。

ボート部の目標は日本一であり、東大戦はその通過点の一つに過ぎません。ただ、この1レースに勝つために出場選手が本気になることは、彼ら自身の成長のためだけでなく、シーズン前半でチーム全体の士気や団結力を高めるためにも大きな意味をなす、大切な大会だとも思います。

大会後、全体や回生で写真を撮る場が生まれたのもなんだか嬉しかったです。

私は2回生の東大戦に気合いを入れ過ぎてやり切った気持ちになり、それも選手を辞めた一因ではあるので、東大戦への姿勢として望ましくなかったのだと反省しています。特に今年に入ってから、あの時選手を続けていたらどうなっていたのかなと思うことはあるし、モーターから漕手を見ていると若干漕ぎたくもなります。それでも、スタッフになったからこそ経験できたことや感じられたこともたくさんあるので、自分の選択に後悔はありません。

今年の東大戦は3年ぶりに夏開催に戻り、有観客も復活し、3年前のぼんやりとした記憶にも重なる、アツい一日でした。運営サイドとしては至らぬ点も多かったですが、多くの方々のご協力により無事開催できたことを大変嬉しく思います。
そして、この伝統ある大会が今後も末長く引き継がれ、多くの人を魅了し続けることを、心より、心より、願います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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