どうも、お初にお目にかかります。一回生漕手の柴野恭彦(しばのともひこ)です。
スタッフから漕手に電撃転向した堀ちゃんからバトンを受け継ぎ、一回生第二弾のブログ執筆です。拙文ですが読んでいただけると嬉しいです。
(↑このブログの見出し用写真を貼っておきます。次の写真が見出しになってほしくない(笑)。初シングル、フロート付きで見事に出艇沈かましました。この沈の瞬間に、後の選考に影響を及ぼすケガをしていました。バカジャナイノ)
生まれも育ちも滋賀県草津市、両親ともに滋賀生まれ滋賀育ち、コテコテの滋賀県民です。琵琶湖は見飽きました。あ、でも京大ボート部伝統の琵琶湖周航はめっちゃ楽しかったですね。Not動力船で長時間湖上にいたのは初めてなので新鮮でした。いつかフルで周航したいですね。(今年はコロナのせいで南湖+ちょい北湖でした。くたばれコロナ。)
あと、同期と一緒にいることがとても楽しいと改めて実感しました。企画・運営等いろいろと奔走してくださった方々のおかげです。このブログでお礼申し上げます。ありがとうございました。m(_ _)m
(↑びわしゅースタート直後の写真です。唐橋あたりで10㎝くらいの魚が艇に飛び込んできました。練習での乗艇中にこんなことはなかったのでテンション爆上げでした。ちなみにこの写真は部員紹介のページでも使われているのですが、なぜかそっちは縦横比がおかしくなってます。)
さて、本題に移りましょう。
今回のブログは「スポーツで勝ちたいねん」というネタを選びました。正直、書きたいことは山ほどあって何にしようか迷いました。「地環がスキ」、「滋賀活性化大作戦」、「運が良すぎる話」などネタの素は10個くらいあります。(このブログを読んでいるボート部員のあなた!ネタに困ったら僕から1ネタ1万円くらいで買収してもらっていいですよ~)
いろいろ考えた結果、「まぁ最初やし無難なやつにしとくか」ということで今回のブログは落ち着きました。今後の僕のブログに乞うご期待。
話が脱線しました。ようやく本題です。
僕は、滋賀県立膳所高等学校野球班→駿台→京都大学ボート部という、京大ボート部の黄金(?)ルートを歩んでいます。(引退した4回生を含めれば、現在このルートを歩んだ部員は4名おります。膳所高ボート班出身者より多い。ちなみに膳所高出身は7名。)
高校野球といえば、日本人の98%が華やかな甲子園を思い浮かべると思います。ピッチャーは誰もが130km/h後半より速いストレートを投げ、バッターは軽々とホームランを打つ。そんな野球を想像する方が多いのではないでしょうか。
それ、幻想です。
幻想は言い過ぎかもしれませんが、ああいうプレーをできるのは全高校野球選手の上位0.5~2%くらいです。僕はもちろん残りの98%側でした。ホームランは高校で1本だけ…(弾道が上がりにくいタイプではあったけど)。小2から野球を続けていてもセンスがない奴はそんなもんなんです。当然、その程度の実力の選手しかいないチームには近畿大会、全国大会なんて夢のまた夢でした。
でも、中学まではその現状をなんとも思っていませんでした。別に近畿大会、全国大会を狙ってやっていたわけではなく、午前練の後に学校のグラウンドで遊んでからそのまま友達の家で遊ぶ、というような仲間といる時間が楽しかったので満足していました。
そのまま僕は、高校でも野球班(なぜか膳所高校では○○「部」ではなく○○「班」と呼ぶ)に入りました。いろんな班の新歓へ行くことはなく、一直線で野球へ向かっていました。ちょうどその時、膳所高校野球班が21世紀枠で選出され甲子園での大会に出場した直後でした。2018年春、第90回の選抜です。
(↑膳所のアルプススタンド。とんでもなく多くの人が応援に来ていました。僕はレフトスタンドで観戦。)
甲子園に出場した直後の野球班でしたが、僕は入部する際に甲子園に出たいと思って入ったわけではありませんでした。僕はけっこうな現実主義者なので、無理なものは無理ときっぱりと思う人です。そもそも競技人口多いし、優秀な選手が集まる近江高校や比叡山高校とかに勝てへんし甲子園なんていける訳がないやろ、というふうに考えていました。
それでも、野球という競技が好きだったので小2からやってきた野球を続けることにしました。
地獄の始まりでした。
身体的にも精神的にも当時はかなりキツかったです。地獄という表現はオーバーかもしれませんが、時間も体力もほとんど余裕がありませんでした。平日は6or7限まで授業のあとに、20時30分まで練習。休日は練習試合で朝6時から夜8時まで拘束。こんな生活が続いていました。勉強するのは始業前の1時間くらい。オフなんてもんはほぼありません。せいぜいテスト1週間前と年末年始くらいでした。入部当初は16人いた同期も、2年の冬が終わる頃には9人になっていました。
これでも、野球が楽しければキツくはなかったとは思います。
……残念ながら楽しくないことがほとんどでした。指導者が厳しく、見られることを怖がっている。班での目標が甲子園に据えられているから、本音では行きたいと思わない甲子園に建前上行きたいと言わないといけない。こんな感じで精神的にとてもつらかったです。
そんな僕は、次第に近畿大会や全国大会に行く他の班をうらやましく思うようになっていきます。野球班に属する僕は、どれだけ頑張っても甲子園がとても遠い。なのに彼らは全国大会に行っている。とても大きな隔たりを感じていました。
自分たちがしている実ることのない(見せかけの)努力の虚しさ。どの班よりも応援してくださる人が多く注目を浴びているのに、結果を全く残せていないことへの申し訳なさ。そして、近畿大会や全国大会で結果を残している同級生のまぶしさ。
この思いが、僕に「全国トップレベルを現実的に目指せるスポーツをしよう」と思わせるようになっていました。タイトルの「スポーツで勝ちたいねん」という思いのスタートですね。
少し話が脱線します。
僕はボートレース(競艇)が好きなので、ボートレーサーになりたいと思っていました。しかし、身長175㎝以下という条件があり僕は175.5㎝…。諦めざるを得ませんでした。
(↑滋賀支部のエース・馬場貴也選手。フォームかっこよすぎ。10/7までボートレースびわこで「GⅠ・開設70周年記念 びわこ大賞」をやっているのでぜひ生観戦してほしいですね。)
「ボートレーサーになれへんねやったら京大行くか」
そう思った僕は、一年間の浪人を経て京都大学農学部地域環境工学科(「とりあえず京大行きたい」という人にはオヌヌメの学科でデシ)に無事合格しました。(最低点+13点くらいやった。怖。)
自分で言うのは少し恥ずかしい気もしますが、勉学の面では全国トップクラスの結果を手に入れたわけです。「スポーツで勝ちたいねん」という思いが、「スポーツで”も“勝ちたいねん」という思いに変わり、入学後は絶対に何か全国トップクラスを目指せる部活をやろうという決心をしました。
新入生の特権である新歓めぐりは「俺を全国優勝に導いてくれる部活はどこや」と新入生にはレアな視点を持って、部活の新歓だけに行きました。(というか天邪鬼な性格のせいでサークルに意地でも行かなかっただけ)
新歓めぐりを4月下旬まで続け、様々な運動部をふるいにかけまくった結果、ボート・ヨット・ラクロスの三択になりました。自然に勝敗が多少なりとも左右されること、野球をやってきて大人数で試合をやるチームスポーツに飽きていたことというのが決め手でボートが残り、ボート部に入った次第であります。(「いや、決め手が全部マイナス要素やないかーい」と思ったら負けです。)
正直、ボート競技ナメてましたね。くっっっっそキツいやないか。でも「究極のチームスポーツ」とは呼ばれていながらも、個人の能力に委ねられる部分が大きく、頑張ったら頑張った分だけ結果に結びつくこの感じは今までなかったので面白いですね。秋季の選考で思いました。結局は自分の能力がなかったら上位のクルー入れへん。
新人だけでの練習も終わりを迎え、秋季大会に出場するためにクルーを編成し練習が始まっています。裏話ですが、このブログは投稿日の早朝練後に書いています。めちゃねむい。クルー紹介はそのうちブログに掲載されると思うので詳しい話は控えておきますが、僕は3rdの4+に乗ります。
冒頭の写真にある出艇沈のせいで選考時にけがをしていて、けが明けに無理やり2000mTTをやったのですが7:41.2であえなく撃沈…。でも、先週の2000mでは約20秒上げて7:21.6でした。最近は乗艇後の1000mでも毎回ベストを更新できていて非常にいい感じです。この調子で伸ばしていって、来年の東大戦では8+に乗れるようにしたいですね。というか絶対乗る。
グダグダと長い文章でしたが読んでいただきありがとうございました。とりあえず書きたかったことは「スポーツで勝ちたいねん」ということです。(タイトルのままやないか)
このブログでの決意表明に恥じない活躍をできるように精進していきます。4年で学部を卒業できるかとても不安ですが、留年しない程度にボート競技にのめりこみたいですね。(まぁ4年で卒業せなあかんルールもないしなぁ………(-_-))
おまけ
9月上旬に行った香川日帰り一人旅の写真載せときます。うどんおいしかった。この数日後に食べた某○亀製麺のうどんはなんだかゴムを食べているような感じがしました。
一人旅が好きなのでどこへ行こうかあれこれ常に考えています。次はNFあたりで西九州新幹線乗って長崎でも行こうかなぁなんて思っているところです。