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やっぱり佐鳴湖が好き

こんにちは!1回生漕手の西木結菜です!今は女子付きクォの舞鶴に乗っています。最近シートチェンジして整調から2番に引っ越しました。付きフォアの山紫に乗っていたときも整調だったので他のシートに乗るのは久しぶりです。整調だと艇の動きやキャッチのズレがよく分かるので漕いでる間にいろいろと気になることが多いですが2番はあまり深く考えずに漕げるので結構好きです。後ろからみんなを支える感覚もあって楽しいです。

ブログを書くのは初めてなので自己紹介も兼ねて私の高校時代の話をしようかな〜と思います。文章を書くのがあまり得意ではないので読みにくかったらすみません。

私は静岡県の浜松西高校出身です。浜松西高校は県立にしては珍しく中高一貫の学校で、私も中学受験をして入学しました。中学のときは硬式テニス部に入っていました。このときは顧問の目を盗んで友だちと喋ったりテニスコートにお絵描きしたりとゆる〜く部活をやっていました。(雨の日の練習だけきつかった)

ベランダから撮った写真。なんかエモくて好き

そんなゆるい部活からなぜボート部に入ったのかというと、部活で結果を残して周りからすごいと思われたかったからです。ボートなら競技人口少ないし西高の先輩もよく表彰されてるからいけそうと思って軽い気持ちで入りました。それに加えて、ボート部はほとんど湖で練習していて、学校の周りでは40分間走や坂ダッシュといったランメニューをすることが多かったので、それを見て走るのは結構好きだからありだな〜と思ったというのも理由のひとつです。

入部したあとは、中学の部活とのギャップに圧倒されました。練習強度はもちろんですが、それよりも部内の雰囲気がテニス部とは全く違うのに驚きました。全員が目標に向けて真剣に取り組んでいて、その雰囲気に慣れず入部したばかりの頃は部活に行きたくないと思っていました。

私の部活への取り組み方が大幅に変わったのは高1の秋ぐらいで、きっかけはCOXになったことでした。西高のボート部はCOXと漕手が分かれておらず、全員が漕手でエルゴが遅い人がCOXになるという仕組みでした。私はその頃エルゴが全く回らず、また女子部員が先輩も合わせて5人しかいなかったので女子クォのCOXになりました。正直、最初は漕がなくていいし疲れないからラッキーと思っていました。

でも、自分が艇を速く進めることに貢献できておらず、漕手ばかりが艇を動かしているということに対して申し訳ないという気持ち、そして自分も漕ぎたいという思いが生まれました。特に試合の後、優勝しても心から喜べていない自分がいました(今考えればCOXのままでもできることはたくさんあったけど当時は自分が艇を動かしたいという気持ちで頭がいっぱいでした)。漕手の同期にこの気持ちを伝えたら、早く一緒に漕ぎたいねとか待ってるねとか言ってくれてとても嬉しく、漕手になったときに足を引っ張らないように頑張ろうと思えました。

その後オフシーズンになりきつい陸トレが始まったときも、同期のために頑張ろうという思いから昔の私とは比べ物にならないほど真剣に練習しました。エルゴスコアもかなり伸びたし、40分間走を毎日全力でやっていたら入部以来初めて顧問に褒められました。クルーを解散してシングルに乗ることができたときは、やっと乗れたという思いと、今のうちに上手くなりたいという思いで毎日やる気に満ちあふれてました。オフシーズンが終わる頃にはエルゴも回るようになって、やっと漕手になれる!と思ってましたが、、

 

先輩のラストレースということで先輩を優先して漕手にすることになり、結局またCOXになりました。仕方ないとは思いつつ、このときは自分の努力が無駄になった気がして、かなり落ち込みました。ここから立ち直れたのは同期が励ましたり慰めたりしてくれたからでした。

結局漕手として上に繋がる大会に出始めたのは高2の夏くらいからで、そこからシングルをかなり頑張ってこの頃にやっとボート競技そのもののことを好きになりました。水を掴んで放す感覚が気持ちよくて毎日漕ぐのが楽しかったです。自力で全国選抜の出場権を得たときはかなり嬉しかったです。このときの全国選抜で同期は男子ダブル全国2位、女子ダブル全国4位を取りました(私は予選敗退でした、笑)。神世代でした。

高校のときにきつい練習を乗り越えることができたのは周りのみんなが頑張っている姿に元気づけられ、自分もみんなを元気づけたいと思えたからだと思います。今でも高校のときのボート部員は友達、というだけでなく同志のような存在だと感じます。大学のボート部でもみんなとそんな関係になれたらいいなーと思いますね。

愛用艇、レグルス。男子用だったけど新艇でピカピカだった。
浜西ボート部のブレードは京大と違って模様があるので塗るのがちょっと面倒でした。

長々と書きましたが私のボートの思い出は楽しいことばかりではなく、むしろ辛かったり苦しかったりする事の方が多かったです。それでも大学でボートを続けようと思ったのは楽しい部分の密度が濃かったからですね。大学に入った直後はボートを続けるつもりは全くなかったものの、やっぱりレースで勝てたときの嬉しさとか練習後の雑談の楽しさとか水を押す爽快さを忘れられず、ボート部に入ってしまいました。

引退の日に同期のみんなで佐鳴湖に飛び込んだ直後の写真です。汚いから嫌だと渋る部員もいましたが結局全員ダイブしました。

最後に私のボート生活の拠点だった佐鳴湖を紹介したいと思います。ここにはたくさんの思い出が詰まっています。M2の山田紘輝さん(浜松北高校出身)と同じ練習場所でした!

佐鳴湖のいいところ

・コースが整備されてる(ブイもたくさんある)

・桜が綺麗

・学校から近い

・色々な学校が練習してる

 

佐鳴湖のダメなところ

・水が汚い

 汚い湖ランキング1位経験者

・ボラが飛んでくる

 体に当たるとめっちゃ痛い、船に入ると鱗が落ちるし船が生臭くなる

・荒れる

 佐鳴湖周辺だけ風速がおかしい(ように感じる)、白波がしょっちゅうたつ

・半分海水

 潮で部品が固まってしまう、水がしょっぱい、重い

1月1日の初漕ぎの写真

こんな感じで佐鳴湖は憎めるけど愛すべき存在ですね。まだ私の中でボートといえば佐鳴湖なのでボートといえば瀬田川!と思えるくらいに瀬田川での濃い思い出を増やしていきたいな〜と思います。とりあえず秋季に向けて頑張るぞ!!

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