how to live

初めまして。1回生漕手の江島です。

私は思想(except for 政治思想)を人に語るのが好きです。高校時代は自分の主義主張を語る場が広く設けられており、多くの人にとっては取るに足りないであろう自己満ともいえるような内容の語りを、大勢の前で語ることができていました。プライベートでそのような行為をしてしまうのならば、人に引かれることは目に見えているので大学に入ってからは自粛しています… ですが、ここで私の思想の一つを語らせていただこうと思います。テーマは「人生観」。

高校2年生の春、人間関係ですごく落ち込んでいた時期がありました。当時の私は、あまり音楽を聴く人間ではありませんでしたが、少しでも絶望の淵から脱却できるならと思い、様々なジャンルの音楽を聴くことを始めました。その中で出会った曲がヨルシカさんの『藍二乗』。この曲の後半に、「人生の価値は終わり方だろうから」というフレーズがあります。何気ない言葉かもしれませんが、このフレーズは当時の私の心臓の奥底を突き刺すほど目を覚まさせてくれるものでした。たかが16歳の小さな悩みなど、現代の日本は人生100年時代、その中で私の身に降りかかるであろう枚挙にいとまがない苦しみに比べれば、どんなに些細な出来事であるかを私は理解しました。今どれだけ苦汁をなめたって、自分の未来には暗雲が立ち込めていると自己の内に悲哀の情を漂わせたって、今際の際に自分の人生を振り返り、それが楽しく、充実したものであると感じることができたならば、人生は「価値あるものだった」といえる、と私は考えています。

では、いかにして自分が最期に下す人生の「価値判断」でいい評価を得ることができるでしょうか。それは単純に人生の中で「楽しかった」「充実していた」「達成感があった」といえるような経験の数と質を高めることであります。絶望の淵からなんとか帰ってくることができた私は、これを実践するために様々な活動に手を出しました。ですが、今となっては「価値判断」に際しての利益としての挑戦に縛られることなく、純粋に自分が「これをしたら楽しそう」「こうすることでいい経験ができるのではないか」と思った活動に参加するようになりました。京大ボート部に入ったのも単純に「新歓でボートがおもしろそうだと感じたから」「体を動かすのが好きだったから」「大学4年間をかけて1つの目標のために全力で取り組むことをかっこいいと思ったから」です。その結果、ボート競技の奥深さと楽しさ(まだ大きな大会に出たことはありませんが…)、ボート部に入っていなければ得られなかった経験などを得ることができました。これは「価値判断」で確実にプラスに働いてくれるでしょう。2週間後に迫っている秋季大会や東大戦、ひいては全日本インカレなどで優勝することができたら、そのポイントは爆発的に跳ね上がることは間違いないと思います。でも、今はそんな損得の話抜きにただボートを楽しみたい、そんな気持ちであふれています。

しがない人間が書いた拙い文章ではありますが、ご精読ありがとうございました。

ビワイチの終盤、苦手な泳ぎの練習をする私
1か月前