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今思うことを正直に

こんにちは、スタッフの小杉です。

前にブログを書いたときは漕手だったのですが、かくかくしかじかあってスタッフに転向することになりました。今回はそのことについての話を書こうかなあ、と思っています。今まで漕手からスタッフに転向した人は多くいるのですが、理由について語っているブログはあまり見かけないので、つらつら書いてみようと思います。実はこれを書き始めている日は2月11日で、これが公開される3月6日までかなりあります。なので、できるだけ正直に色々なことを書ければいいなと思っています(とはいえ、多くを書きすぎるとごちゃごちゃしてしまうため、だいぶ断片的にしか書きませんでした)。重い内容になってしまった気もするので、興味ある方だけでも読んでいってもらうと幸いです。

いきなりですが、なんで僕はボート部に入ったのでしょう?この部への入部理由は様々です。純粋に日本一を目指してみたい、大学でもボートを続けてみたい、なんか新歓が楽しかったから…etc
多く理由はあるけど、僕は一体なんの理由で入ったんだろう?と考えると、色々思い出すことがあります。

最初は、ボート部に入ろう、とはあまり考えていませんでした。(それでも、入部候補になるくらい好きな方ではありましたが。)もともとはサークルに入る気満々で、ほどほどに運動を嗜み、バイトでお金を稼いでほどほどに遊ぶ生活を想定していました。ただ、1つ上の荒古先輩に何度も声をかけていただきました。まず、それがなければ入部はあり得なかったでしょう。そのことは今でも感謝しています。

でも、僕の中にもボート部に入ろうする気持ちがありました。その大きな理由は、「大学生活を心から楽しめるものにしたい」という思いがあったからです。一見当たり前ですが、僕にとってはこれが殊に大事なことでした。

僕は中高とあまり楽しい生活を送ることができませんでした。中高一貫かつ男子校の進学校という特殊な環境は、正直僕の性格にはまらない所が多く、精神的にキツくなることがありました。大学に入っても似たような状態が続き、精神的に落ち込むことがなくなかったため、大学では日々みんなと楽しくやれる環境で、精神的に楽に過ごせそうな所に行きたい、と思っていました。

その条件にピッタリはまったのが、ボート部でした。この部活であれば、練習に精を出しながらも、皆と楽しくやれそうな雰囲気を感じました。練習はかなりキツいことは想像がついたので、悩みましたが、結果的に入部を決めました。新歓に行ってから、ひと月も経った頃のことでした。実際入ってみると、同期として入部した人たちは良い人ばかりで、新人コーチの方々も日々温かく接してくれる良い人ばかりでした。毎日のようにキツい練習は続いたものの、それを大きく上回るくらい楽しさがあり、充実した生活を送っていました。

しかし、漕手であることに何も葛藤がなかったわけではありませんでした。僕は正直エルゴタイムが遅かったです。激しい運動をした経験が少なかったうえ、体格的には正直小さい方でした。そのせいかはわかりませんが、他の人と比べると明らかに実力が劣っていました。少しでもエルゴが早い人に近づければいいな、とは思ってはいましたが、正直追いつくことなんか考えられるほどの差でなく、最後2000mエルゴでベストを出したときでも最上位とは1分も離れていました。そんなこともあって、上位のクルーとなることは初期段階で諦めてしまっていました。それが、結果として漕手を続けることへのモチベーションの低下を招いていってしまいました。

また、部活としての目標との齟齬も徐々に感じるようになっていました。この部活の目標はもちろん、「日本一」です。凄く良い目標だと思います。ですが、上のように、決してエルゴが回っていない僕にとっては夢のまた夢の話に感じていました。正直漕手としての自分に期待感がない以上、別の所に部活へのモチベーションを求めていました。それが、「ここにしかいない仲間」でした。僕は116期が心の底から好きです。ただそれだけで僕は頑張り続けることができました。本当に感謝しています。116期のみんなのお陰で、僕は秋季大会までかなり高いモチベーションを保つことができました。

しかしながら、漕手である必要性を感じない瞬間が来るようになりました。秋季大会の直後のことです。精神的に苦しくなる瞬間がなくなり、様々なことに挑戦したいと思えるようになった自分に気づくようになりました。その瞬間、「もしかしたら、いまなら自分は新しいことを見つけられるのでは」と考えるようになりました。秋季の段階で辞めていった同期を考えると、余計にそう思ったのかもしれません。また、この思いに拍車をかけるように、エルゴタイムが落ちたり、自分だけスイープに乗れなかったりすることがありました。スカルでは最初はダブルで田熊さんに乗って頂いたのですが、すぐシングルを漕ぐようになりました。冬の早朝練は真っ暗でシングルを漕ぐ必要があるためか、「ここまでする意味はあるのか、別に上位に入れるわけでもないのに」といった感情を強く持つようになっていくようになりました。そんな状態で長続きするはずもなく、新年明け、エルゴで過去最悪の記録を出したタイミングで漕手を辞める決意を固めました。

「自分が思っていたよりも引退はかなり早くなったけど、漕手を引退してスタッフになることはそう悩まない。ボート部は好きだし。」

最初はそう思っていました。ところが、僕のこの思いは一瞬で砕けていきました。1月をもって、同期がさらに退部していったからです。先程述べたように、私は116期が大好きです。だから出来るだけ、みんなが楽しくやっていければいいな、なんて思っていました。けれど、現実はそう甘くありませんでした。僕の為す術もなく、辞めていってしまいました。

ボート部は多くの同期を追いやるほど、厳しいものがあるーーーーー

この事実をなかなか飲み込めませんでした。自分がボート部になにか出来るんじゃないか、なんて思ったりしましたが、それ以上に、僕はボート部に拘る必要は無いように感じるようになりました。新しいことを見つけたほうが、今後のためになるんじゃないか。だいいち、大学生で自由にやれる時間はそう長い訳では無いし。今決断すれば、もっと楽しいことが待ってるかも。こんなふうに思うようにもなりました。そんなこんなで、休部期間を設け、どんな選択が良いのかをじっくり考えました。

結論から言うと、前述の通り、僕はスタッフになりました。ですが正直、気持ちが固まった訳ではありません。最後まで、はっきりとした気持ちにはなりませんでした。あまり判断が遅すぎると良くない、と考えていたため心を決めてスタッフになりましたが、高いモチベーションを有していた訳ではありません。そんな思いのまま、現在へと至っています。

こんな思いでも、頑張ることは頑張らなければなりません。それはわかっているつもりです。ただ現状、自分がやっていることに違和感を感じ続けているのも事実です。こんな思いでいつまで続くのか、僕にはわかりません。ですが、ボート部にしかない何かを求め、探し続ける限り、この京大ボート部で頑張ってみようと思っています。

長々と読んでくださり、ありがとうございました。

新人で京都での練習をする時、みんなで集まる場所です。 僕にとっては素晴らしい思い出の場所となっています。僕は、このボート部で過ごした時間が同期のみんなにとって有意義と思えるものであればそれで良いと思っています。ただ、やっぱりもう一度、みんなでそろってみたいなとも思っています。もうそんなことは叶わないのかもしれません。ただ、もしそうだとしても、どこかで、楽しくやっていってほしいなと心の底から願っています。
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