一艇あって、一人なし。
ボート競技の本質を表したことばだ。
ボート競技は数ある団体競技の中で、全く異質と言っていい。
アメフトや野球、サッカーやラグビー、バスケやホッケー、などの団体スポーツは、個人それぞれに役割がある。チームが息のあったプレーをし、得点をとる。全員が同じ考えを共有してプレーするが、綱引きのように全員が同じ動作をするわけではなく、個人プレーしかり、ボートに比べれば個々人の動作の自由度がかなり高い。心理面では、相手チームとの駆け引きが重要で、己と向き合い自分の力を最大限引き出し、タイムを狙っていく競技系のスポーツとは異なる。
水泳や陸上のスポーツ競技はアメフトなどに比べ、相手を出し抜いたりするより、まず己に打ち勝つことが求められる。試合相手はあくまで自分を高めてくれる存在であり、敵ではない。
では、ボート競技はどういったスポーツなのか。
水泳や陸上と同じ競技であるが、ボート競技はさらにその先を行っている。
試合は2000mをいかに速く漕ぎきるかを競い、自然の中で行うのでタイムにばらつきが出る。だいたい4艇から6艇並んで試合をし、その中で一位もしくは二位までが次の試合に駒を進めることができる。
レースはだいたい6分から8分ほど続く。相手をどのタイミングで突き放し、ラストスパートを入れるか、心理的な攻防は他のスポーツと同じくある。
いかに自分たちがレースで力を発揮できるか、己の限界以上の力を引き出して漕ぐ、というところは水泳や陸上と共通するところかもしれない。
しかし、どの競技とも違うボート競技の特徴がある。
それは、同じ艇に乗っている仲間どうしで息を合わせて漕がなければボートは速く進まないということだ。全員同じ考えを共有し、一糸乱れぬ動きで漕ぐ。もちろん、人それぞれ能力や考え方が違う。それをどう同じ方向にもっていくか。それをどう実現するか。
全員のベクトルを一つにするにはどうすればよいか。ひとりひとりが考えに、考え、仲間と議論しい、考えをまとめ、それを実効に移し、失敗したら改善すべきところを考え、ボートを速く進めるために試行錯誤を繰り返す。真剣な分、仲間同士で意見が割れ、仲が悪くなることがある。そうなれば、仲間同士の対話が生まれず、意識を統一できなくなり、ボートは進まなくなる。仲間同士がいい関係を保ちながら、積極的に意見を出し合う環境を維持していくことが大事なのだ。
少し矛盾した話になるが、漕ぎが上達するうちに、言葉を交わさなくても同じ艇に乗っている仲間の考えが分かるようになってくることがある。漕いでいる最中に伝わってくる振動やリズム、脚や腕に掛かる力から、誰がどう漕ぎたいのか分かるのである。
全員の動きが合うとき、自分が普段出す力の半分ぐらいの力を出すだけで、ボートはいつもの倍の速さで進む。このときほどわくわくする瞬間はない。一艇あって、一人なし。まさにこのことば通りである。
最後に、アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギー氏のことばを紹介しておく。
「 私の話を聞くよりもボートを漕ぎなさい。そこに成功するだけのすべてがあるから。」
もし、そのことばが嘘だと思うなら、ボートを漕いでみてほしい。
工学部 地球工学科 2回生 漕手 浅井泰一郎
同じ地球工学科の廣瀬↓ レポート課題に追われる