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戸田で駄々をこねました

京都の2回目の本気の夏を乗り越えつつあります、2回生の梅澤です。といっても最近暑いのでまだ油断できませんね。もう少しエアコンのお世話になろうと思います。今回はこの前ちょっと思ったことについて書きたいと思います。

 

話はインカレ遠征中にさかのぼります。僕はインカレでは全く歯が立たずに敗コロしてしまったわけですが、戸田での残された時間を有意義なものにするために我らが古澤コーチにメニューを組んでもらいました。そこには2000メートルエルゴがあり、ベストが出たらそれで終わり、出なかったら追加メニューというものがありました。当時の僕は「追加はあるけど」くらいの気持ちでいたのでそのメニューで行こうということにしました。そして次の日に実際に2000を引いたのですが、残念ながらベストは出ませんでした。この時点で結構しんどかったのでもう上がってエッセンを食べようと思っていたのですが、なにやら古澤さんがレストを計っていたらしく、追加をやるように言ってきました。決められていたので当然と言えば当然なのですが、当時は絶対にやりたくなかったのでものすごくごねました。床に寝そべって手足をバタバタさせ、やりたくない旨を訴えました。保健体育で習うところの幼児退行です。その甲斐もなく、古澤さんは毅然としてやるように言ってきます。僕は人生でも有数の拒絶を全力でしているのに、どうしてわかってくれないんだろうと思いました。10分間ぐらいごねた後、結局メニューを少し軽くしてやることになりました。

 

この一件で思ったことがあります。それはなぜ僕はあんなにやりたくなかった追加メニューを減らしたとはいえやったのかということです。あんなに嫌だ嫌だと言ったことはあまり記憶にないのに結局やりました。僕は普段から嫌だと言いつつもやるということが多く、部活に関しては高校の陸上部のときからこんな感じだったと思います。でも今回はそのどれよりも嫌だったと思っています。いつもは最終的に強くなるにはやった方がいいみたいな感じで落ち着くのですが、今回は半ば投げやりにやった感じです。どうしてか考えたときに、古澤さんに言われたからなんじゃないかと思いました。あまりにも譲歩してくれる様子がなさ過ぎて(そもそもは決められているのだからそれが当たり前なのですが)やらないほうがおかしい感じになったんだと思います。古澤さんは強い人なのでその圧に負けたというべきかもしれません。

 

書き始めたときはなんか騙されてひどい目にあった的な内容を書こうと思っていたのですが、書いているうちに古澤さん正しかったんだと思って悲しくなってきました。何の話か分からなくなってしまいましたが、嫌だったことも過ぎればなんてことないみたいなとこでしょうか。この前引退した石川佳純も現役中は「引退したら一生運動しない」とか思っていたのに、最近は体を動かしたくて走ったりスクワットしたりしているそうです。僕も陸上部だったときはもう走りたくないと毎日思っていましたが、大学でボート部に入ってからの新人練はランメニューが楽しかったです。いつかエルゴしたくなる日も来るんでしょうか。再来月くらいに小西さんに聞きたいです。

 

最後にですが、やっぱり帰省したいです。

 

高校の部活のTシャツのプリントがはがれたときの写真。紘子先輩も持ってるはずだけど着てるの見たことない
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