新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
1回生漕手の玉牧優太です。
まさか二回目のブログが年明け一発目になるとは思いましませんでした。(と思ったらブログの提出が押してて3番目?くらいっぽいですね)2023年本当にいろいろありました。共通テストや2次試験を乗り越え念願の京都大学に入れたと思ったらボート部に入って、そこからはあっという間だったなと感じています。まあ新年になったのですから過去を振り返るよりは未来に目を向けていこうと思います。
直近では成人式と同窓会、誕生日まで数日後に迫っています。お酒とか飲んでそのことブログに書けたらよかったなと思うので残念ですね。少し先で言うと2000エルゴで6:40切りを達成して対抗に乗るのが1つの目標で、その先は全日最終日やインカレでメダルとか取れれば最高だなとか未熟な身でありながら夢見ていたりします。新年早々悲しい話題も多いですが、頑張ります💪
年明けなので今年の抱負的なものを軽く綴ったところでこのブログの本題に入っていこうかなと思います。今回僕が好きなものについてひたすら語っててめちゃくちゃ長いので最後まで読めたら大したもんだと思います。
皆さんはレブロン・ジェームズという人物をご存知ですか?
レブロンはアメリカのバスケリーグNBAのスーパースターで、今もロサンゼルス・レイカーズというチームであの八村塁選手と共にプレイしている僕の最も好きなスポーツ選手です。レブロンはあの神様マイケル・ジョーダンとどちらがバスケットボール史上最高選手なのか大論争が巻き起こる程凄い選手ですが、そんなレブロンについて思う存分語っていきたいと思います。
レブロンは凄く過酷な環境で育ちました。実の父親は今現在も誰かはっきりしておらず、まともに住む家もない幼少期を過ごしています。そんな中レブロンはバスケと出会い、その類稀なる才能を発揮して高校では全米から注目される選手へと成長していきます。
レブロンが高校生頃はマイケル・ジョーダンが3度目(←!?)の引退直前であり、バスケを世界的に人気にした稀代のスーパースターがいなくなってしまうため、世間は新たなるスーパースターの発見に熱が入っていました。そんな中、高校で圧倒的存在感を放っていたレブロンにもその期待は寄せられていきます。NBAデビュー前から高校生なのにレブロンの試合は全米中継され、雑誌の表紙を飾り「King」や「The chosen one(選ばれし者)」と呼ばれるなど空前絶後の注目を集めていたのです。ドラフト前に単にオールスターに選出されたりするだけではバスト(失敗)で殿堂入りぐらいは当然してもらわないとという声が当時あったと聞いたこともあります。レブロンはNBAデビュー前の高校生の時点で、あのNIKEと日本円で当時100億円以上にもなるスポンサー契約を結んだというのですからその凄まじさが分かると思います。
そんな中、レブロンは偶然にもマイケル・ジョーダンが引退した2003年、ジョーダンと入れ替わる形で高卒でありながら数多の有望な大学生達を抑えて1位でドラフトされNBAデビューします。この2003年ドラフトはNBAの歴代でも屈指の当たり年と言われているのですが、それでもしっかり1位指名されているのは流石といったところです。
そうしてレブロンのNBAキャリアがスタートします。ドラフトしたチームはレブロンの生まれ故郷のチームであるクリーブランド・キャバリアーズ(以下キャブス)で、地元生まれの超大型新人が地元のチームにドラフトされたのですからレブロンの地元は大盛り上がりでした。当時キャブスが位置しレブロンの故郷でもあるクリーブランドにはアメリカのメジャースポーツでの優勝が40年近くもたらされておらず、レブロンがこの暗黒期を破ってくれるのではないかという期待もありました。しかしこういった話からも分かる通りクリーブランドは経済的に恵まれた地域ではなく、キャブスもお世辞にも強いとは言えない晩年弱小のチームでした。このことが後にレブロンを大きく追い詰めることとなっていきます。
世間からの期待はとてつもないものでしたが、実はキャブスの選手たちはあまりレブロンを歓迎していなかったようです。レブロンのチームメイトへのインタビューでは「彼(レブロン)と同じポジションにはより優れた選手が既にチームにいる」「高校生がNBAでいきなり活躍出来るわけがない」などチームメイトから中々の言われようでした。しかしレブロンはデビュー戦から25得点6リバウンド9アシストというスター級のスタッツ(スタッツ:得点やリバウンドなど選手個人の試合記録)を見せ、その後もシーズンを通して活躍し続けて新人王を獲得します。高校バスケからいきなりNBAという世界最高の舞台に移っても即座に活躍できたのはさすがレブロンという他ないでしょう。残念ながらオールスターに選ばれることはありませんでしたが、ルーキーでしかも高卒デビューとしては上出来すぎるくらいの一年目となりました。まだレブロンの伝説は始まったばかりです。
2年目のレブロンは1年目から目まぐるしい成長を見せます。前年から平均得点を7点も伸ばし、その他の主要スタッツも明らかなレベルアップを見せておりこのシーズンでは初のオールスター選出を果たしています。高卒から2年目にして既にスターの風格が備わっており、実力もトップクラスにあることが数値にも表れ始めていたのです。またチームとしては昨シーズンから勝ち数を伸ばして勝率も50%を超えたもののプレイオフ(ポストシーズン)への出場は叶いませんでした。
3年目にはレブロンはとてつもない結果を出し始めます。平均得点はルーキーシーズンから7点伸ばしていた昨シーズンからさらに4得点も上昇し、リーグ全体でも3番目になります。オールスターには当然選出され、オールNBA1stチームにも選ばれます。オールNBA1stチームというのは言わばリーグ全体の選抜チームの一軍といった感じです。つまり既にこの時点でレブロンは自分のポジション(フォワード)ではリーグ最強だったということです。またシーズンMVP(以下MVP)投票でも2位になっており選手全体でも最強の一角だったと言えるでしょう。またオールスターゲームでもオールスターMVPを歴代最年少で受賞し、チームではプレイオフにチームとして8年ぶりの出場を果たしスーパースターとなったレブロン飛躍の年と言えるでしょう。しかしプレイオフではカンファレンス準決勝で強豪デトロイトピストンズに敗北してしまいます。
4年目はレギュラーシーズンはチームの勝率はあまり変わることなく、レブロン自身も3年目にほんの少し見劣りするかもしれないものの好成績を残しオールスターは当然としてオールNBA2ndチームに選出などを受賞しました。(今後レブロンはオールスター、オールNBAチームいずれも2023年現在まで受賞し続けます)そうしてプレーオフに出場したレブロン率いるキャブスですがここでレブロンが脅威のパフォーマンスを見せます。順調に勝ち進んでいったキャブスはカンファレンス決勝で昨シーズン敗れた因縁の相手ピストンズとぶつかります。NBAのプレイオフは4勝先取なのですが2勝2敗の接戦で迎えた第5戦、試合は2度の延長になる大激戦となりこの試合を取った方が勢いに乗れるのは明白でした。結果この試合でキャブスなんとか勝利を掴むのですが、なんとキャブスがチームとして決めた最後の25得点は全てレブロンのシュートによるものだったのです。相手のピストンズはリーグ屈指のディフェンス力を誇るチームだったのですがレブロンはそれをたった1人で齢22歳にして破壊してしまったのです。誰しも知っていると思いますがバスケはチームスポーツ、個の力で打開するなんて中々できません。しかも試合終盤レブロンしかシュートを打たないのですからピストンズのレブロンへの警戒レベルは高まる一方で、最後のレイアップにはピストンズの5人中4人がレブロンを囲んだものの単独で強引に突破してシュートを決めきってしまいます。この圧倒的なパフォーマンスで勢い付いたキャブスはカンファレンス決勝を突破してNBAファイナルに進みます。しかし相手は歴代でも最強クラスと名高いサンアントニオ・スパーズで、流石のレブロンでも抑え込まれてスイープ敗け(4-0)してしまいました。ただ、先程話した1人で25得点の話からも分かる通りキャブスはレブロンのワンマンチームだったのです。あまり恵まれた土地ではないキャブスはレブロンの周りに満足のいく選手を集められておらず、キャブスはクリーブランド・レブロンズと揶揄されることまであったほど酷いチームでした。それでもNBAファイナルにたどり着いているあたりレブロンの圧倒的な個の実力が分かるでしょう。
5年目、この年はレブロンがレギュラーシーズンで平均31.4得点を記録してキャリア初の得点王を受賞します。ここでせっかくなのでレブロンのプレースタイルについて説明します。簡潔に言うとレブロンは史上最高のオールラウンダーです。ポジションもオールラウンドな活躍が求められるスモールフォワードで主にプレイしています。バスケで選手の役割は得点の他にもディフェンスやプレーメイキング(司令塔)、アシスト、リバウンドと様々ですが、レブロンはその全てをNBA最高レベルで実行できる選手です。レブロンは得点は勿論、ディフェンスでも小さくすばしっこい選手についていくだけの素早さと大きい選手に力負けしないだけのパワーを両立しています。またバスケIQも歴代最高とも言われることがあるほどで、プレーメイキングやアシストも一流です。高IQエピソードとして、試合後のインタビューで試合の最後の数分間を完全に記憶していて説明してみせたり、相手チームの選手が作戦を忘れたときになぜかレブロンがその選手に作戦を教えていたというとんでも謎エピソードもあります。大きな実績は後の解説で述べていきます。そんなオールラウンダータイプのレブロンが何人ものスコアラーを抑えて得点王を受賞したのですからすごいですよね。またオールスターMVPも二年連続で受賞しました。ただこの年レブロンはプレイオフのカンファレンス準決勝でレギュラーシーズンにリーグ首位の成績を残していた名門ボストン・セルティックスとぶつかり、ここで敗退することとなってしまいました。この後セルティックスはNBA優勝を果たしています。
6年目、レブロンはディフェンス面で大きな成長を見せ最優秀守備選手投票で2位になり、初のオールディフェンシブ1stチーム(守備だけを見た選抜チームの一軍)入りしました。この頃からそれまで微妙だったディフェンス能力にも磨きがかかり本当に穴のない選手として完成度が高まっていきます。またこのシーズンでキャブスはリーグ首位の成績を残し、レブロンは主要5スタッツ(得点、リバウンド、アシスト、スティール、ブロック)の全てでチーム首位の成績を上げたことにより初のMVPを受賞しました。プレイオフでも順調に勝ち進んだものの、カンファレンス決勝でドワイト・ハワード率いるオーランド・マジックに敗北してまたもNBAファイナルを逃してしまいました。ただこの戦いでレブロンは脅威的なスタッツをあげ孤軍奮闘状態であり、内一戦は劇的ブザービーター(試合終了と同時に得点して勝利or延長)によりチームを勝たせるほどのモンスターパフォーマンスでした。シーズン敗退後にレブロンは『チームは負けたが俺は勝者だ』というコメントを残しています。まだ若いレブロンの精神性も垣間見えますが、そう言いたくなるのも納得なほどレブロン頼りだったのは否定できません。
7年目、この年もレブロンは順調に活躍し、普段とは違うポジションをやったりしながらもまたもリーグ首位の成績を残します。また二年連続のMVPを受賞しました。しかしカンファレンス準決勝では二年前に負けた因縁の相手であるセルティックスとぶつかり敗退してしまいました。レブロンは依然として孤軍奮闘状態で、いくら自分が頑張っても勝てないチームしか作れないチーム運営陣への不満がたまっていたと思われます。個人としてはすでに歴代でもトップクラスの成績を残していたレブロンですが、最大の目標でもあるNBA制覇はまだ達成できておらずチームを優勝させられない選手というレッテルを貼られる焦りも感じていたことでしょう。
そしてこのシーズンの後、オフシーズンでレブロンはキャブスとの契約満了でフリーエージェント、つまり新たな契約を結べる状態になります。レブロンは勝てないチームからの脱出を望んでいると考えられていました。となるとNBAのチームはこぞってレブロン獲得に動きだし、各地のNBAファンも地元のチームにレブロンが来てくれるのではないかと期待に胸を膨らます。結果から言うとレブロンはマイアミ・ヒートというチームと契約するのですがこれがNBAでも当時類を見ない大炎上となります。理由は僕が把握している範囲で3つです。
1つ目は故郷のチームを裏切ったことです。
先述のとおりレブロンは故郷のチームに所属しており、レブロンにかかる地元民からの期待も並々ならぬものでした。結果としてレブロンはこの七年間でその期待に応えることができず、自分自身が優勝するためにチームを乗り換えたのですから反感を買うのも理解できますよね。当時レブロンの移籍に怒り狂ったファンがレブロンのユニフォームを燃やすという動画が多く拡散されたほどでした。
2つ目は自分の移籍発表を一つのTV番組にしたことです。
本来移籍というのは選手個人からではなく、チームやメディアから報道されるものです。しかしレブロンは移籍するかどうかすら発表直前までチームに伝えておらず、TV番組の枠を取って『The decision』という番組内で自分の口から発表しました。このことがファンを刺激し、調子に乗ってる印象を与えてしまったという側面もあるそうです。
3つ目はとてつもないスーパーチームを結成したことです。
このことが最も大きな要因だと思います。スポーツ観戦あるあるですが、とんでもないスーパーチームが誕生すると他のチームのファンからすれば応援してるチームが勝てなくなるのでこんなに面白くないことはありません。今回の場合レブロンは元々ヒートにいたスーパースターのドウェイン・ウェイド(The Rockじゃないよ)、そして別のチームでエースだったクリス・ボッシュという同じ2003年ドラフト組の友人二人と合流し、リーグでも屈指のエース級選手が3人もヒートに集まる異常事態となりました。ドウェイン・ウェイドは当時既に優勝、NBAファイナルMVP、得点王に一度ずつ輝いておりオールスターやオールNBAの常連選手でした。クリスボッシュもオールスター常連でオールNBAチームにも選出されていた選手です。このBIG3はレブロンの異名『KING』もあってか『Three Kings』と呼ばれました。こうしてNBA史上屈指のスーパーチームが結成されたわけですが、最も反感を買ったのは選手主導でスーパーチームが結成されたことでしょう。選手が自分のために勝手に移籍を決めたこの出来事は当時前例がなく、NBAの在り方を大きく変えることとなります。
こうして満足のいくチームメイトを手に入れたものの最も嫌われるポーツ選手となったレブロンの8年目がスタートしました。初めてキャブス以外のチームでプレイしたレブロンは、シーズンの初めは負けがこんだものの最終的には好成績を収めました。スターが集結するとパフォーマンスが分散してワンマンの頃よりスタッツが落ちることもありますが、レブロンは維持してオールNBA1stチームにはしっかり選出され、MVP投票も三年連続のMVP受賞とはならなかったものの3位になっています。ちなみにこのシーズンにレブロンが初めてキャブスのホームコートで試合をした際にはレブロンがボールを持つたびにブーイングの嵐で、観客の退場4名、逮捕者1名という話もあるほど大荒れでした。(レブロン本人はしっかり活躍して勝ちました)プレイオフでは因縁のセルティックスに勝利、カンファレンス決勝では史上最年少MVPに輝いていたデリック・ローズ率いるシカゴ・ブルズと対戦しました。このシリーズでレブロンはMVPのローズをマークして勝利。4年ぶりのNBAファイナル出場を決めたのです。ファイナルの相手はダーク・ノビツキー率いるダラス・マーベリックスでした。このファイナルでレブロンは低調なパフォーマンスに終始し、スーパースターとしては歴代最低とも言われる酷さでヒートは敗退しました。しかもこのファイナル中には風邪でもチームの為に出場したノビツキーを馬鹿にした行動が拡散され、ただでさえ嫌われていたことも相まって大炎上します。こうしてレブロンの8年目は最悪の最後を迎えて終わってしまうのでした。
9年目のシーズン、このシーズンはロックアウトにより一時はレブロンがアメフトのリーグであるNFLに移籍するのではという噂まで出ていましたが、なんとかシーズンは開幕してレブロンは圧倒的活躍で見事2年ぶり3度目のMVPを受賞しました。プレイオフでクリス・ボッシュの怪我による離脱もあったものの順調に勝ち上がりカンファレンス決勝で再び因縁のセルティックスとぶつかります。ヒートは一時2勝3敗と追い込まれたものの、第6戦でレブロンの歴史に残るモンスターパフォーマンスでの圧勝やボッシュの復活もあって再びNBAファイナルに到達します。ファイナルの相手はこの年得点王のKDことケビン・デュラントとラッセル・ウェストブルックを擁するオクラホマシティ・サンダー(OKC)でした。この戦いでレブロンは昨年と異なり安定したパフォーマンスを見せ初の優勝を成し遂げ、ファイナルMVPも満場一致で受賞しました。MVPとファイナルMVPの同時受賞はNBAの歴史でも10人しかいない偉業でした。またこの年レブロンはアメリカ代表としてオリンピック金メダルも獲得しており、MVP、ファイナルMVP、NBA優勝、オリンピック金メダルを同じ年に獲得したのはジョーダンとレブロンの二人だけという偉業でした。
10年目のシーズン、この年のレブロンはジョーダンの最高のシーズンと並んで最高プレイヤーとも評されるモンスターシーズンを送ります。得点、リバウンド、アシストの全てでウェイド、ボッシュを抑えてチームトップだったのはもちろんのこと、驚くべきはそのシュート成功率で約57%とフォワードとしては異常な高さでした。(50%でかなり優秀とされる)またディフェンスも驚異的で、オールディフェンシブ1stチーム選出は当然のこと、最優秀守備選手投票でも2位となりました。この2位というのも実は1位になるべきだったのではと言われていて、というのも1位の選手はオールディフェンシブ2ndチームだったので普通に考えたら1stチームに選出されたレブロンが本来受賞すべきだったというのは今もよく騒がれています。(別に問題なかったとも言われたりします)またチームとしてもリーグ首位を達成したのはもちろんのこと、シーズン中には史上2番目の連勝記録でもある27連勝をヒートは記録しました。こうした圧倒的記録の数々によりレブロンはほぼ満場一致(なぜか1人別選手に投票した選考員がいた)で2年連続4度目のMVPを受賞しました。そしてプレイオフでも順調に勝ち進み3年連続NBAファイナルまで到達します。ファイナルの相手は6年前に初のファイナルで負けた相手であるサンアントニオ・スパーズでした。このファイナルで一時は3勝2敗のピンチで迎えた第6戦でほぼ負けが確定しかけるも、レブロンの覚醒による怒涛の追い上げと歴代屈指の3Pシューターでベテランだったレイアレンの同点に持ち込む伝説的3Pもあって延長に持ち込みなんとか勝利。運命の第7戦ではレブロンが圧巻のパフォーマンスを見せて勝利しレブロン率いるマイアミ・ヒートはNBA連覇を達成しました。
11年目のシーズン、この年も安定して活躍しオールNBA1stチームやオールディフェンシブ2ndチームに選出されました。プレイオフでは例の如く4年連続NBAファイナルまで勝ち進みます。ファイナルの相手は昨シーズンと同じくスパーズでした。このシリーズでは空調の故障で会場が猛暑となりレブロンが足を攣ったり、スパーズの強固なディフェンスに苦しめられたりと上手くいかず1勝4敗で敗退してしまいました。そしてこのシーズンの後にレブロンは再びフリーエージェントとなります。
フリーエージェントとなったレブロンにはいくつもの選択肢がありました。当然ヒートに残ることもできますし、ほかの強いチームに移籍だって可能だったでしょう。しかし、ここでレブロンの取った選択肢は故郷への帰還でした。NBAはレギュラーシーズンの成績が低かったチームが良いドラフト指名を得るので、レブロンがいた時のキャブスは勝ててしまうため全然いい指名権を得られず満足のいくチームを作れていませんでした。レブロンのいなくなったキャブスは歴代最多連敗を更新するなどレブロンに依存していた反動でひどい成績を残しましたが、その分いいドラフト指名権を手に入れていい選手が揃いつつありました。その1人がカイリー・アービングで、2011ドラフト1位でNBA入りしその圧倒的ハンドリング技術とシュート技術でオールスターにもなっていました。(ハイライトがめちゃくちゃかっこいいのでNBA初めての人はカイリーのハイライト集おすすめです。)またキャブスはこの時トレードでオールスター級選手のケビン・ラブも獲得して一気に強くなっています。このことがレブロンの計画だったのかは本人のみぞしるところですが、レブロンは故郷に帰還し50年ぶりのメジャースポーツでの優勝を故郷に持ち帰ると約束したのでした。
12年目のシーズン、新たなチームはシーズン当初あまり上手くいっていなかったものの、最終的にはカンファレンス2位の成績でレギュラーシーズンを終えました。プレイオフに入ると他を寄せ付けずにレブロンは4年連続のNBAファイナル出場を果たしました。相手はこのシーズンMVPを受賞したステフィン・カリー率いるゴールデンステイト・ウォーリアーズでした。なんとこのファイナルでは頼れる仲間のカイリーもラブも怪我で途中離脱してしまい、最後はまたもレブロンの孤軍奮闘状態となっていました。結果的にキャブスは4勝2敗でウォーリアーズに敗れるのですが、レブロン個人としては圧倒的な活躍を見せました。その証拠としてこの時のファイナルMVPはウォーリアーズのエースだったカリーではなく、レブロンに対して良いディフェンスを見せたアンドレ・イグダーラという選手に与えられています。それだけレブロンの存在感が異常だったんですね。
13年目のシーズン、レギュラーシーズンではカンファレンス首位の成績でプレイオフに進出して順調に勝ち上がりレブロンは5年連続でNBAファイナルに到達しました。NBAファイナルでレブロンたちを待ち構えていたのは、この年レギュラーシーズンでレギュラーシーズン最多勝を達成した因縁の相手ウォーリアーズでした。レギュラーシーズンの最多勝記録というのは、ジョーダン率いるシカゴ・ブルズが1996年に達成した72勝がアンタッチャブルレコードとして長らく君臨していたのですが、この年二年連続MVPのカリー率いるウォーリアーズが73勝で塗り替え歴代最強チームではないかと話題になっていたのでした。そしてこの時のカリーはレギュラーシーズン最多数の3P達成など圧倒的なパフォーマンスでレブロンやジョーダンも達成できなかった史上初の満場一致でMVPを受賞していました。(今現在もウォーリアーズとカリーの記録はどれも破られていません)この頃にはレブロンはすでに世界一のバスケ選手ではなく、カリーこそが世界一だという人も多くなっていました。ファイナルが始まると第4戦の時点でキャブスは1勝3敗と最強ウォーリアーズ相手に崖っぷちであり、当時1勝3敗から優勝したチームはNBAの歴史上存在せず絶体絶命でした。しかしここでレブロンがそのままやられるわけもなく、第4戦ではアービングと共に41得点という圧巻のパフォーマンス(ファイナルで同じチームの選手二人40得点オーバーは史上初)、第5戦でもレブロンは41得点でチームを勝たせてNBA優勝は運命の第7戦に委ねられる形となりました。この第7戦は史上屈指の接戦となりました。最終的に各チームが3桁得点することも珍しくないNBAですがこの試合では一桁以上の点差が開くことはなく、常にどちらが勝つか分からないシーソーゲームのまま試合終了まで残り5分弱で同点になってからお互いスコアが全く動かなくなります。そのまま残り試合終了まで残り2分となったところでウォーリアーズが速攻からのレイアップを決めると誰もが確信した瞬間、後ろから猛スピードで守備に戻ってきたレブロンのチェイスダウンブロックがさく裂します。勝てば優勝、負ければ終わりの第7戦の終盤でウォーリアーズに流れを渡さなかったこのレブロンのブロックはジョーダンの伝説的プレー『The Shot』と対比的に『The Block』と呼ばれていたりします。このブロックの後はカイリーが3Pを決めたりレブロンがフリースローを決めたりして最終的にキャブスが4点のリードを奪ったまま試合は終了。レブロンは約束通り故郷に約50年ぶりの優勝をもたらすことに成功したのでした。ヒートで2度優勝した時はどちらも喜びの表情を見せていたレブロンですが、この優勝がきまったときはその場に崩れ落ちて涙を流しています。また試合後のインタビューで言った『Cleveland! This is for you!(クリーブランド! この優勝を君たちに捧げる!)』はNBAでも最高の瞬間の一つでしょう。レブロンは当然ファイナルMVPを受賞しました。最強選手の座が揺らぐ中、史上最強の敵を相手に絶体絶命の状況から逆転し、故郷からの期待に応えたこのファイナルはレブロンのキャリアでも最高のシリーズだったと言えるでしょう。
15年目のシーズンもレブロンはNBAファイナルに到達します。相手は3年連続のウォーリアーズなのですが、このウォーリアーズは去年の最近と呼ばれたウォーリアーズよりもさらに強力なチームになっていました。なぜならレブロンが初優勝したときファイナルで戦ったケビン・デュラント(KD)がウォーリアーズに加入しまさに銀河系軍団となっていたのです。なんせKDはレブロン初優勝の後にMVPや得点王も獲得しておりその実力はレブロンやカリーに並ぶリーグ最強格だったのです。このKDの移籍はレブロンのヒート移籍に似ており、レブロン自身の行いがレブロンにとって最強の敵となって立ち塞がったのです。レブロンはこの歴代最強と名高いウォーリアーズに立ち向かいますが健闘虚しく敗退します。しかしこのファイナルでレブロンは得点、リバウンド、アシストの主要スタッツ全てのアベレージが二桁(トリプルダブル)という史上初の異次元パフォーマンスを披露しており依然として世界最強プレイヤーの座は揺らぎませんでした。
16年目はカイリーが移籍してしまったりとキャブスのチーム構成がうまくいかなかったりとまたもレブロンの孤軍奮闘状態に近かったものの、このシーズンもレブロンは圧巻のパフォーマンスでMVPを受賞はできなかった(投票2位)もののMVPはレブロンだったいう声も多数ありました。そしてこの年のレブロンの真価はプレイオフにあります。プレイオフでは残っていたケビン・ラブも怪我で離脱しまたも孤軍奮闘状態に。しかしこの年のプレイオフだけでレブロンはチームの勝利を決めるブザービーター(試合終了の合図と同時にシュートを決めて勝利or同点)をなんと3度も決めて孤軍奮闘のままNBAファイナルまでたどり着いてしまいます。しかもカンファレンスファイナルの第7戦では試合の48分中48分出場となんとフル出場でセルティックスを破る怪物ぶりです。NBAファイナル第1戦では4度目の対戦となったカリー、KD擁する銀河系軍団ウォーリアーズに51得点のモンスターパフォーマンスで勝利まであと一歩のところまでいきますが、味方の選手がスコアボードを見間違える大ポカで全てが台無しになり延長戦へ、そのまま敗北してしまいました。その後ロッカールームであまりの悔しさからホワイトボードを殴ってレブロンは骨折しますが第2戦以降のファイナルも最後まで戦いました。しかし第1戦の決定機を逃したキャブスは流れに乗れず0勝4敗のスイープ負けをしてしまいました。
17年目のシーズン、再びフリーエージェントとなったレブロンは家族の安定を求めたのもあり、経済的に発展したロサンゼルスに拠点を持つ名門ロサンゼルス・レイカーズに移籍しました。この年のレブロンは序盤は順調に活躍したものの途中故障もあったことによりプレイオフすら逃す結果となってしまいました。自身の成績も十分スタークラスではあるもののレブロンとしてはかなり物足りない結果となりました。
18年目のシーズン、レイカーズはトレードでスーパースターのアンソニー・デイビスを獲得します。レブロンとデイビスのデュオは非常に強力でしたが、コロナによりこのシーズンはNBAバブルという特殊なシーズンになりました。またこの時レイカーズのレジェンドで少し前に引退したばかりのスーパースター、コービー・ブライアントが、通算得点でレブロンに抜かれた翌日に事故で亡くなってしまいリーグ全体が悲しみに包まれる出来事もありました。こうした多くの逆境で多くのチームが調子を崩したりする中レイカーズは順調に勝ち続け、カンファレンス首位を獲得しレイカーズは7年ぶりのプレイオフ進出を果たしました。またレブロンはこのとき自身初のアシスト王も獲得しており、その圧倒的万能性を見せつけました。そのままプレイオフも順調に勝ち進みNBAファイナルに進出、相手チームはかつてレブロンも所属したジミー・バトラー率いるマイアミ・ヒートでした。このファイナルはジミー・バトラーが驚異的なパフォーマンスで対抗してきたものの最終的にレイカーズ亡きコービーに捧げる優勝を達成しました。レブロンも圧巻のパフォーマンスで自身4度目のファイナルMVPを受賞しました。異なる3つのチームでファイナルMVPを受賞したのはレブロンが史上初の偉業でした。
これ以降、レイカーズは2シーズンほどチーム状況が怪我や選手の入れ替わりによって不安定になり、プレイオフに進出できるかどうかも怪しく進出してもカンファレンス一回戦敗退という結果に終わってしまいます。レブロン自身もこの頃は35歳を超えており、それまでほとんどなかった怪我での離脱が増えていきます。それでもレブロンは19年目のシーズンで得点王争いに絡み、最終的には出場試合数が少なかったのでランキングには載りませんでしたがリーグで二番目の平均得点を記録するなど未だその実力は健在でした。
そして去年にあたるレブロン20年目のシーズン、レブロンは一つのアンタッチャブルレコードを破ります。それはキャリア通算得点最多記録です。バスケには様々な要素がありますが、結局は点をより多く取った者が勝つスポーツです。そんなバスケにおいて史上最もNBAのコート内で点を取った人間にレブロンはなったのです。この記録は38年前(実はレブロンが生まれたのもこの年だったりします)にカリームアブドゥルジャバーという選手が更新して以来誰も破れていなかった大記録でした。この記録をレブロンが破った瞬間NBAは異例の対応で試合を一時中断し、新たな大記録を祝ったほど偉大な記録でした。なんせあのジョーダンやコービーですら抜かせなかった大記録ですからね。そうした出来事もあった中レイカーズはなんとかギリギリプレイオフに進出、レブロンは要所で素晴らしい活躍をしカンファレンス決勝まで進出します。カンファレンス決勝の相手は現役最強と名高いニコラ・ヨキッチ擁するデンバー・ナゲッツ。結果はここで4連敗してシーズン終了となるのですが、負ければ終わりの第4戦でレブロンは47分とほとんどフル出場してモンスターパフォーマンスを残し未だその強さをみせつけました。
そして21年目のシーズン、今まさにレブロンはレイカーズで未だ第一線級の実力を発揮しながら戦っています。つい先日にはインシーズントーナメントというミニプレイオフ?的な新たなトーナメントで優勝し、なんとレブロンは現役最年長選手ながらトーナメントMVPに輝いています。今現在のレイカーズは少し不安定なところもありますが、なんとか戦い抜いて5度目のNBA優勝を成し遂げてほしいと思いますね。
ここまでレブロンのキャリアを追う形でレブロンについて解説してきましたが、正直まだまだ書き足りないくらいです(笑)
まだあまり触れられていないのがレブロンの長寿性で、衰えてはいるもののアラフォーとしては異次元すぎるパフォーマンスを未だ見せてくれています。先ほど述べた通算得点一位や、最多連続二桁得点記録などその他最年長記録系は数えだしたらキリがないです。高卒デビューの早熟型のくせに長寿性も化け物すぎて笑っちゃいます(笑)
さすがにこれ以上書くのはやりすぎかなと思うのでこの辺で終わらせようと思います。間違いがないように調べたつもりですがミスがあったらすいません💦
もしここまでこのブログを読み切った人がいたらびっくりです。このブログが世のNBA好きを少しでも増やすことに繋がれば幸いです。ではまた~~