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最近の納得

3回生漕手の早川奏雅です。それっぽいことを書きたい気分なので、それっぽいことを書くつもりです。

人はよく、「結果より過程だよ」といいます。

ずっと結果が出なきゃ意味がないと思って生きてきました。「結果より過程だよ」という人は言葉が足りていない気がしています。20年以上生きていると、努力しても報われないこともあるんかなあと気づいてきます。今までは結果が出ないのは努力が足りなかっただけで、全力で取り組めばきっとできるんだ、と思っていましたがそうじゃないんだなって思いました。

自分は結果が悪かったとき、全力で頑張っているつもりでも、思い返せばもっと頑張れたな、と思うことしかありませんでした。だから結果が出せなかったときの自分が嫌いでした。日頃の行いとは対照的かもしれませんが、自分は誠実な人がかっこいいと思っているので、自分にすら誠実であれない自分が嫌でした。過去の自分に納得ができないので後悔、執着ばかりでした。でも、今回は本当に頑張って、でもダメで、けどそうなったときにこそ過程が活きてくるんだと今になってようやく気づけました。もちろんちょっとの執着とたらればは考えますが、後悔は少ないです。

今でも結果が出なきゃ意味がないと思っています。だけど、結果が出なかったときに、そんな自分でも認めてあげられるのは過程を真に頑張ったときだけなんだなあと実感しました。だから、「結果より過程だよ」じゃなく、「結果がだめでも過程がよければ納得はできるよ」ですね。腑に落ちました。

僕は、頭で理解していても実感できないと納得できないタイプの人間なので、やっと納得ですね。納得と理解は全く違います。こんな感覚だったんだなぁと。

もちろん日本一をとってみたい、勝ちたい、メダルがほしい、と心から思っています。でもそんな思いを抱いたまま、叶えられないままボート競技を終える人がほとんどです。そんなとき、自分を認めてあげられるかはその結果までを真に頑張った人だけなんだと思います。

 

ところで話は変わりますが、そんなもんは敗者の理論だと思います。ただの慰めです。結果がなきゃ納得はあれど喜びも何もありません。スポーツをする者は二種類しかありません。敗者と勝者です。「結果より過程」なんて敗者が言えば負け犬の遠吠えだし、勝者が言えばきれいごとだと思います。もちろん、そう言う人のことを否定するつもりはありませんし、そんな人もいていいと思っています。これは一個人の意見です。

人が真に憧れるのは結果を出す人です。結果より過程って言う人は大体そこそこの結果を出しています。その点、ボートは大会だけじゃなくエルゴの数字で絶対評価のできる結果を出し続けられるのでいいですね。(僕は遅いので速くなりたい)

勝者ももちろん過程に納得しています。勝者なら結果にも納得できます。ってことは勝つしかないですね。だって自分は納得するために漕いでいるんじゃないから。

可能性が少しでもある限り、結果に辿り着けるようにもがくことが自分への誠実さです。たぶん。自分で自分の背中を押したいです。

燃えてきましたー。

今回の主張は、いろいろ考えてみたけど、やっぱり結果が欲しいのでまた頑張るよーってことです。

 

 

ずっと主語が自分だなぁ。人に何かを与えられる人間になりたい。

かなり蛇行した文ですが、読んでくださってありがとうございました。

過去の自分を肯定するために行った。行ってよかった。
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