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なんだかんだ

こんにちは、4回生漕手の田中颯人です。

いきなりですが、ボート部の4年間を振り返ってみます。

1回生

4月末に入部しました。3,4回目くらいのボートレースに参加したときでした。ここに参加していたのは、木戸、會澤、計盛、村松の5人で、全員入部するという熱い日でした。今思い返すと、5人中4人が現幹部をしているのも感慨深いですね。ボートレース参加しすぎじゃねと思った人もいたかもしれません。2回目のボートレースでほとんど入部は決めていたんですが、入部届のような書類があるものだと思っていたので、入部が遅れてしまったんです。

ナックルレガッタでは、エルゴ選考で木戸、酒井、荒古、宮崎に負けて、2ndになりました。このときは「頑張らないと東大戦には乗れないな」と焦りを感じました。そして、迎えた8月のエルゴ選考では、前日の自主練 (よく計盛とジョージさんがやっていて、それに便乗した) で掴んだスタートなどがうまくはまってベスト (たしか、7:10台後半) が出て、なんとか乗れることになりました。このときは、すごく嬉しかったです。

東大戦の練習期間は、とにかくしんどかったです。森下以外の8人は漕歴が1年もなく、今思えばとんでもない漕ぎで練習していたので、必要以上の体力を使っていたので、日々の練習は過酷でした。ただ、日々成長を感じれていましたし、週3,4回もホテルに泊まる体験もできたしで、楽しい時間でもありました。 (ホテルの宿泊費を出していただいた、OBOGの皆さんありがとうございました。)

インカレにもレース経験の一環として、出場させていただけました。あくまで、東大戦のクルーだったので、大会前日に2000TTをしたり、レース後にHIITをさせられたりして、まさにインカレ付き合宿でした。一番の思い出は、NTT東日本の隣のレーンで漕いだことです。並んだのは数秒でしたが。

迎えた東大戦は、惨敗でした。最初の500は出れましたが、コンスタントの力量の差で巻き返されました。悔しくはありましたが、インカレのときよりはレースらしい展開だったので、成長したのかなあと感じました。来年の東大戦では、勝利するしかないと思いました。

冬季では、先輩方とペアに乗って練習しました。森川さん、榛澤さんとペアに乗った気がします。東大戦期間で成長したと自負していましたが、先輩方との差を間のあたりにして愕然としました。西村さん、岩田さんから教わっていたものの、漕歴の浅い9人でがむしゃらに練習していたわけですから、成長していたとしても3回生と差が詰まっていないのは今思えば当たり前なんですが、当時は衝撃でした。

2回生

新歓が始まった春もまた僕は焦り出しました。2000エルゴで7分を切ってなかったからです (たしか、7:01くらい)。毎週、2000をやった気がします。なかなか結果は出ませんでしたが、全日選考で実を結び、7分を切ることができました。

選考でベストを出したこともあり、全日では2nd4+に乗りれました。初めて上回生と大会に向けたクルーを組んだのがこのときで、艇が寄ってくる感覚・クルーを自分たちで作っていく楽しさと難しさなどなどいろんなことが学べた時期でした。結果としては、B決勝進出の12位で、最終日に行けたことの喜びを感じるとともに、木戸はA決勝4位で差をつけられてしまったなあと悔しさも感じる大会でした。

次は、東大戦です。去年の悔しさをバネに、木戸と僕の全日期間に学んだことを同期たちに伝えられれば、勝てるはずと息巻いていたのはいいものの、そうトントン拍子には進まず、とても苦労した期間でした。結果としても完敗で、いい思い出とは未だに言えません。ただ、同期と8+に乗れたということだけは、東大戦のいい思い出だなと思います。

インカレでも、4+で出場しました。しかし、本番1週間前にコロナに感染してしまい、満足いく体勢で臨むことはできず、敗コロで先輩たちを引退させてしまうという形になってしまいました。当時は、悔しいというより、申し訳ないな、どうしてこんな時期に感染したんかなという気持ちが大きかったです。

新人戦では、対抗4+に乗ることになりました。このときは結構順調に成長できていて、大会での結果が出せそうだなと感じていた矢先に、僕が膝を、木戸が肋骨を怪我してしまいました。結果として、クルーは大きな編成を余儀なくされ、出場できない同期もでてくる事態となってしまい非常に迷惑をかけてしまいました。自分としては「次こそは自分も結果を出すぞ」と意気込んでいたのもあって、士気が落ちてしまった時期でもありました。編成があったとしても、練習に臨む同期たちを見て、自分も頑張ろうと思えました。

3回生

全日では、対抗4-に乗りました。結果としては、A決勝6位で前年よりも順位を上げることができ、嬉しかったものの、自分の腹切りで5位から転落しての6位だったので申し訳なさと悔しさが残る大会でした。

この悔しさをインカレで挽回しようと考えていましたが、ヘルニアになってしまい、インカレ選考をリタイアすることになりました。このときがボート部生活の中で一番精神的に弱った時期な気がします。インカレ選考の7月から3回生の終わりごろまでは運動できない日々が続きました。選手はもう引退しようかなとも考えることもありましたが、同期たちが最後のインカレで勝ち進んで行くのを純粋に応援できるかなと考えたときにできねえと思ったので、復帰を目指すことにしました。

4回生

通った病院の先生がよかったこともあり、冬季の中盤にはなんとか足に力が入れれるようになってきて、全日選考で復帰することができました。全日では2nd4+に乗りました。同期たちは1人もおらず、自分以外は申年生まれの後輩たちに囲まれることとなりました。どうにかこうにかB決勝8位になりましたが、A決勝に行って去年よりも上の順位を取りたかったなあと思いました。

関選では、同じメンバーで出場し、準優勝することができました。メダルを取れたことは嬉しかったです。

 

実は、僕が突然4年間を振り返ったのは、ある後輩から「どんな気持ちで4年間ボート部生活を過ごしてきたのか」というテーマで書いてほしいと言われたからです。

ブログを書いて思ったことは、「同期たちに負けたくねえ」というのが常にあったなあということです。なんだかんだ同期に支えられて続けて来れたんだなあと感じました。

インカレまで残り1週間ほど、同期に負けねえという気持ちで最後まで頑張ろうと思います。応援よろしくお願いします。

そういや、最近しりとりしてねえや。

 

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