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手探り

こんにちは。2回生漕手の八役光兼です。前回のブログは確か浜寺杯のクルー紹介だったので2か月ぶりのブログです。今回は真面目に最近の思いについて書きたいと思います。病みブログになるかもしれないので、苦手な人は見ないでください。

まずはインカレ、JOに出ていた皆さんお疲れさまでした。特に今年引退する4回生の皆さんは今回のインカレが大きな目標だったと思います、本当にお疲れさまでした。

今の4回生は僕にとって憧れで、お手本のような存在でした。練習で決して手を抜かない姿、上手くいかなくても投げ出さない強さ、後輩を導くその背中はとても大きく、僕がこれからの2年間で目指すべき目標を示してくれました。心から感謝しています。

それと院生のコーチ陣の方の中にはボート部を卒業される方も少なくないと思います。僕はこれまで苦しかった時に、コーチの方の言葉に何度も救われました。本当にありがとうございました。

僕の話に戻します。ここからは少し日ごろ口に出せないことを書かせてください。

正直この1か月は精神的にどん底でした。7月の半ばに選考があり、その後のミーティングでインカレに出られないことが決まりました。正直半年前は2回生になれば当たり前にインカレに出られるものだと思っていたので、ショックでした。今考えればバカな話かもしれませんが。とはいってもその前の浜寺杯に向けた練習で成長を実感していたので、試合に出られずともそのままシングルの練習をするのは悪くない選択肢だという気持ちもあり、割とすぐに立ち直れたと思います。

インカレに出られないのが決まった後、医学部さんとジャパンオープンのエイトに乗ることになりました。人数の関係から初めてストサイをやることになり、慣れない分キツイ練習ではありましたが、自分の引き出しが増えることは楽しくもありました。

8月の頭からなかなか寝付けなくなり、吐き気やめまいでメニューもこなせなくなりました。少し休めば回復するだろうと思っていましたが、結局8月末まで元に戻らず、エイトからは降りることにしました。熱心に指導してくださっていた大地さんに申し訳ないのと、自分への不甲斐なさで苦しかったです。

同時期に新人戦と東大戦の選考に関する話があり、やはり同期内で一番エルゴが回らない僕は勝手にプレッシャーを感じていました。目標タイム自体は決して突拍子もないものではありませんでしたが、練習がうまくいかず伸び悩んでいた当時の僕には達成する姿が想像できず、毎日エルゴのことばかり考えて病んでました。特にずっと目標にしていた東大戦に出られないかもしれないというのは、僕にとっては耐え難い現実でした。みんなは「エルゴはいつかきっと伸びる」とか「選考に勝てばいい」とか簡単に言うけれど、そんな浅い言葉で片付けられるくらいなら、何も言わなくていいです。

 

ここまでこの一か月を振り返りましたが、一番つらかったのは誰にも相談できなかったことです。つらいときは他の人に頼るべきとよく言われますが、自分がどん底の時にそれに気づいて手を差し伸べてくれる人なんてそういないです。もしこのブログを読んでくれた人がいて、僕に限らず落ち込んでる人を見つけたら、お願いなので助けてあげてほしいです。自分から他人に助けを乞うというのは、なかなかできることではないんです。

僕はなんとか持ち直して、やっと前を向けるようになりました。立ち直るきっかけを作ってくれた人たちには本当に感謝しているし、人として尊敬しています。

 

ここまで付き合っていただきありがとうございました。次回のブログではもっと前向きなことを書けるように頑張ります。

 

 

 

 

 

 

↑気分転換に訪れた空港、思いのほかよかった。

 

 

 

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