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駿

かなり風の冷たさが厳しい季節になってきましたね。どうも、2回生漕手の玉牧優太です。僕は極度の寒さ耐性を持つので人生でカイロを使ったことがないしヒートテックも着た事がないのですが、それは身体の芯が冷えにくいという話であんまり冷たい風があると末端は冷えて厳しいですね… 人生初カイロを使ってみてもいいかもしれません。

ふと南湖一周したくなってした時のやつ

 

実はこのブログの提出締め切りはインカレ直後だったんですが既にシーズンが終わっています。なぜこうなったのかと言うと、締め切り前に一度ほぼ下書きを書き上げていたのですが、新人選がまだなのにその内容のブログ出すの嫌だなぁとか思っていて渋った結果気づけばシーズンが終わっていました。

結局他に書きたい内容があるので今回のは書いたやつとは別のお話です。またどっかのタイミングで元々出すつもりだったブログは出すつもりです。それでは本題に入っていきます。

 

今年のシーズンは、部のスローガン通り飛躍の年でした。冬季に怪我をしていた僕ですが、なんとかシーズンが完全に始まる前に復帰でき朝日レガッタ後にあった全日本選手権クルーの再選考に参加することができました。そこで全日クルーとして乗ることになった艇が駿でした。この駿と共に僕は成長したと言っても過言では無いので今シーズンの駿との軌跡について書いていきます。

駿というのはFillipi製のアルミウィング舵手付きフォアで、今年5月当時それまで僕が乗ったどの艇よりもグレードの高い艇でした。スキニーオールもウィングも駿が初めてでなんじゃこりゃ!?ってなったのは今でも覚えています。この全日クルーから先日の新人選クルーまで5か月ほどずっと駿の3番に乗っていました。

 

全日クルーで僕はエルゴパワーでなんとか乗れただけで、技術に関しては圧倒的に下手くそでした。なんせ漕手は先輩2人と経験者の同期1人、冬季漕げてない自分なんてお荷物です。コーチさんにも「3番(僕)~~」と番チャで何度言われたか分かりません。でもそんな状況だったからこそ自分にとって大きな成長の機会となりました。

 

この時期に習得したフィニッシュの強さと長さは今も自分の漕ぎの大きな武器になっています。この時フィニッシュの強さを身に着けたからこそ、キャッチで水を掴んで持ってくる大事さも理解できました。ローイングは循環運動なので一つ分かると他のことも分かってくるのがとても面白く思ったのを覚えています。

 

そうして迎えた全日本選手権。この大会は自分のローイング競技との向き合い方が大きく変わるターニングポイントでした。大会までの自分は冬季の空白の影響で自分の競技におけるレベル感も分からず、競技に対するモチベーション…とはなんか違いますね熱意?…がどこかまだフワフワしていた気がします。

 

明確に変わったのが全日本選手権の予選でした。中々ハードな組でしたが、1000mくらいまで横に学生最強、N本大学の影を感じれてめちゃくちゃ楽しかったのを覚えています。そこで全国でもある程度戦えると思えましたし、夜にレースプランでどうやって実力差をひっくり返すか考えるのはとてもワクワクでした。結果として入賞もできてとても嬉しかったです。

全日本選手権での写真

 

その次は同じメンバーのまま関西選手権に出場しました。ちょっとした事件もあったりで楽しい遠征で、大会の結果は準優勝で新人期の秋季以来2枚目のメダルを獲得しました。

関西選手権での写真

 

インカレではクルーが最初かなり迷走していた時期があり、1度自分が整調をやったりしたのですがクルーの漕ぎがダメなのは感じ取れるもののどう自分がアプローチすればいいか分からずめちゃくちゃ苦しんだ記憶があります。結局自分は3番に落ち着きインカレ前になってクルーの漕ぎもまとまってそれなりにいい感触は得られていました。インカレの予選では自分でも良い漕ぎができたという感触があり、後に3位で銅メダルを獲得するT山K際大学にも勝利するなど良い滑り出しでした。しかし敗者復活戦のアップからどこかクルーで漕ぎが噛み合わない感覚があり、そのままマイクの音が入らなくなるなどのトラブルが続きました。そのままズルズル調子が崩れ、結果はC決勝の5位となってしまいました。このインカレの敗復とC決勝の悔しさは一生忘れないんだろうなと思いましたね。

インカレ最終レース前の写真

 

そんな悔しさに打ちひしがれてる間もなく新人選のクルーが始動しました。詳しくはさとしが既にブログで語ってくれているので個人的な新人選にかけていた思いとかを書こうと思います。僕が新人選を意識し始めたのは上述の全日本選手権の予選が終わった時からでした。この時に自分は今シーズンで全国級の大会でもっと勝ちたい、引いてはメダルを取りたいとより強く思うようになりました。しかしインカレでは全くもって思うような結果を残せず、戸田でのリベンジ、全日本級でのメダル獲得に燃えていました。日本一を目指すなら2,3回生の間で全日本級でのメダル獲得は必須だと思ってますしね。

 

自分にとって1番印象に残っているのはやはり準決勝で、最後のスパートで全てを出し切ったものの勝てずに倒れ込んだ時、スピーカーからさとしの涙声が聞こえてきて変に冷静になった記憶があります。自分では叫ぶくらいしか悔しがることもできない中、さとしの悔しがる声が自分の分も悔しがってくれてるような気になってましたね。実はインカレ直後に勢いでさとしに「新人選優勝すんぞ」とか言ってたので力不足な先輩でごめんなぁとか思いながら倒れ込んでぼんやり空を眺めてました。

結果は全体6位と順位だけ見ればメダルには遠いですがタイムやレース感では上位クルーとも肩を並べられていたので何かが違えばメダルも有り得るクルーだったと思います。悔しくてさとしのブログとか、西尾HCの新人選振り返りをめちゃくちゃ読み返してます。ぶっちゃけ今でもたまに思い返してます。

ハムサ!一番夢見てたし思い入れの強いクルー

 

こうして駿と乗るシーズンは終わりました。駿を降りて思うのが俺付きフォア好きやなぁってことです。駿をおりてから4-,2-,8+に乗りましたがやっぱ4+が楽しいです。まずcoxのいる艇の方が役割分担してクルーで漕いでる感じがして好きですし、4人だと程よく自分が艇を進めてる感覚もあって気持ちいいです。それなりに速いですしね。可能な事なら日本一の夢は4+で叶えたいなとか思ってます。

 

そんなこんなで駿にはいろいろな事を学ばせてもらいました。来シーズンはどんな艇にのってどんなレースができるのか今からワクワクしています。

それでは今回のブログはこの辺で!

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