コンテンツへスキップ

今まで感じていたことを書いてみた

こんにちは。4回生漕手の芝田知優です。

ブログ当番が回ってきた時に真っ先に書こうと思ったのは冬季の振り返りです。自分は冬季の期間にエルゴタイムを結構伸ばすことができ、なぜそれができたのかを分析したブログを書こうと考えていました。しかし、分析はある程度できたのですが、なぜかこの内容をブログにすることに対してすごくモヤモヤしました。そうこうしている内にブログ当番の期限が過ぎ、遅れて提出しています。みきあつ、いつもごめんなさい。

ある日、怪我をしながら練習を頑張りすぎて少し窘められている後輩の姿を見た時、自分の昔の姿が重なりました。自分も腰を痛めていた頃は無理に練習しすぎないようさちさんに言われたなぁと。それから懐かしくなり、過去のモーション日誌をすごく前まで遡って読みました。そして、自分がどれほど先輩達や同期、後輩に支えられていたか読んで気づきました。モヤモヤの正体がわかった気がしました。冬季の期間にエルゴを伸ばすことができたのはその通りですが、自分がそれをできたのは冬季のおかげだけじゃなくて今まで支えてくれた全ての人たちがあってこそだと。

ここで感謝の言葉を書くことは簡単なのですが、自分がなぜ感謝しているのかとても伝えたい気持ちが湧いてきました。それには自分が当時考えていたこと、これまでどのような思いで部活を続けてきたかを書いた方がより伝わるのではと考えました。ずっとこのことを引退前に書きたいと思っていました。ここからは自分語りと謝辞が多めです。この文章はどちらかというと一回生に読んで欲しいですね。こんな風に続ける先輩もいるのだと参考にしてもらえれば嬉しいです。逆に同期にはあまり読まれたくないですが、ブログに書いている以上は仕方ありません。冬季の振り返りは最後にちょろっとだけ書くので、そこまでスキップして読んでもらっても大丈夫です。


自分語りは新人期まで遡ります。
新人期、私はずっと辞めたいと思って練習していました。新人練に参加して一週間が経った頃、全身筋肉痛で目覚め、猛烈に辞めようと思った日を今でも覚えています。でも、すぐに辞めるのは自分の変なプライドが許さなかったんです。そこから1万時間練習したら辞めようとずっと思って練習しました。なぜか1万時間練習したら達人になれると固く信じており、そこまでやってから辞めてやると決心していました。そう思い続けて夏が終わり、辞めようという気持ちが秋季でとても薄れましたが、1回生の冬季は本当に虚無でした。メンバー数でいえば東大戦に出られるようなタイムもなく、何をどうすればレースでどうなれるのかも分からず、やっぱり1万時間練習したら辞めようと思いなおしました。(練習時間を数えていたわけではありません。まだ1万時間には足りていない気がしていただけです。)あの頃、とても練習態度がよろしくない私にコーチの香川さんやふくみさんが怒る訳でもなく、とても気にかけてくださったことを覚えています。なぜ怒らなかったのか不思議で仕方ありません。そして同期との会話が楽しかったのも部に留まり続けた理由の一つでした。

同期の数が減り、さらに東大戦に乗れるようになってからは辞めようと思う暇もなく、慣れないスイープに翻弄され、迷走していました。東大は強い人や上回生が乗っている、自分たちは勝てるのだろうかと心の奥で思っていました。でも、勝とうと言う同期の姿を見てとてもそんなことは言い出せませんでした。今思えば自分の弱さによる不安以外の何物でもありません。あの時の自分に足りなかったものは、不安ならエルゴを少しでも速くして艇速に貢献してやろうという気概だったと思います。東大戦のレースは今でもレース展開を鮮明に覚えています。レース中東大と予想以上に並んでいて、驚いたと同時にじわじわと離されていく悔しさがありました。自分がもっと前向きに少しでもエルゴタイムを伸ばしていれば勝てたのではないかと激しく後悔しました。

そして関西選手権が終わって一週間後、ウェイトを久々にやった日にその瞬間は訪れました。今では倍の重量も余裕に上げられるくらい軽い、笑っちゃうような重量のバーでデッドリフトをしようとした瞬間にピキッときました。腰の故障です。そこから半年以上に渡る長い離脱期間が始まりました。

ここまで読んでくれた方々はお察しの通り、1、2回生の私は練習に対してモチベーションがあまりなく、東大戦でそれを後悔するという有様でした。後輩たちが1回生の内から目標をもって練習している姿を見ると本当にすごいなと感じます。特に今の2回生女子は秋季がなくなり、レースに出たこともないのに根気強く冬季の練習に取り組んでいました。そんな彼女たちのことを心から尊敬しています。

故障後、インカレクルーで練習をすることは絶望的になり、代わりにシングルで出場予定だった計盛さんに乗ってもらうことになりました。計盛さんにはこの後も引退されるまで本当に様々なご迷惑をおかけしました。そして私はインカレにスタッフとして同行しました。エッセン作りもしたかったのですが、流石に初心者がすると時間がかかってしまうということで定点やコーチカーから動画を撮りました。その時に改めてスタッフの有難さ、すごさを感じました。普段当たり前だと思って見逃しがちですが、スタッフの方々はお金をかけて戸田まで駆けつけて朝早くに起きてご飯を作ったり、炎天下の中動画を撮ったり、本部で仕事をしたりしています。レースに出るわけでもない、お金になるわけでもない、むしろ損になるのに、です。普段の練習もそうですよね。スタッフの方々に支援して貰うに値するような選手であるかというのはこの時から強烈に意識するようになりました。

そしてもう一つ、このインカレで大きく意識が変わった出来事がありました。それは原万生さんと紘子さんのダブルの準決勝後のことでした。このダブルはA決勝を目指しており、そのA決勝を決めるレースのスパートで早稲田大学に刺され、B決勝に上がったのでした。レース後、二人とも艇庫でただひたすら泣いているのを呆然と見ていました。二人の泣いている姿を私は見たことがありませんでした。たまに二人のモーション日誌を見ていて、ウェイトや乗艇など練習に二人で高め合っている姿やエルゴタイムの速さを知っていたので、A決勝に上がれるものだと疑いもなく思っていました。でも、ボート競技は自分が思っている以上にシビアで、こんなに速い先輩達でさえ悔しい思いをするのだと現実を突きつけられた気がしました。それと同時に心からかっこいいと思いました。先輩達の練習に妥協を感じたことがなく、全て出し切ったからこそ、ここまで悔しくて涙が止まらないのだと。自分はここまで本気になれたことがあっただろうか、今からなれるだろうかと。その頃から自分の目標の一つに「本気で取り組んで熱いレースをする」ことが加わりました。このダブルのレースを見られたことに今でも感謝しています。

しかし、ようやく自分のモチベーションができて練習したい気持ちとは裏腹に、身体は故障したままでした。腰の痛みによってエルゴに座ることさえできない私の面倒を見てくださったサチさん、紘子さんには感謝してもし足りません。バイクや水泳のメニューについて毎週考え、調子を気遣ってくださったこと、そして何より復帰を諦めないで応援してくださったことが心の支えになりました。この頃のモーション日誌を読むと、本当に色々な方がスタンプを押してくれたり、古郷さんがバランスボールをオススメしてくれたり、たくさんの方が気遣ってくれていたのだと感じます。エルゴをドラッグファクター1で30秒引き切っただけで喜んでいる日や同志社船台まで漕いで帰ってきた日のモーション日誌を読むと、今練習できていることが不思議なくらいです。

3回生の夏くらいには腰の調子が良くなり、エルゴメニューをコンスタントに行うことができるようになりました。インカレのフォアに乗ることができ、またエイトに乗る機会にも恵まれました。昨年は岸でただ見ているだけでしたが、ようやくレースができるようになったと感慨深い気持ちもありましたが、インカレはやはりそう甘くはありませんでした。今の自分では最終日にまぐれで上がるのが精々で、もっと熱いレースを自分がするには足りないもの(エルゴ、乗艇技術など)が多いと気づかされました。

冬季、そして今私を動かしているものの原点は2回生の夏に見た、ダブルのレースです。そこからレースを重ねても「熱いレースをしたい」という気持ちは満たされておらず、それがまだこの競技を続けている理由なのだと思います。そしてその過程で本当に多くの人に支えてもらいました。改めて感謝申し上げます。

 

遅くなりました。冬季の振り返りです。冬季に意識したことの中で有効だったものをいくつか紹介します。

・ウェイトの意識について
エルゴタイムを上げる最短のルートはウェイトの重量を上げられるようになること。これにつきます。冬季はウェイトをほとんど欠かすことなく行えただけでなく、1RMが毎回伸びるよう常に意識しました。スクワットに1kgつけて笑われたこともありましたが、1RMが伸びるならいいやと思ってやっていました。

・練習頻度について
自分の練習頻度は適切なのか、オフの頻度も含めて考えました。そしてメニューをできるだけ完遂しました。例えば、冬季はウェイトの回数が多めですが1週間の中でエルゴとウェイトの順番を調節しました。エルゴはできるだけ乗艇含めて適切な間隔になっているか、ウェイト後すぐにエルゴだとあまり集中できないタイプなのでエルゴとウェイト間を空けるなど。エルゴを月水金の週3回やったり、補強エルゴを行ったりしたことも良かった気がします。

・漕ぎ方について
冬季の間に漕ぎ方が大きく変わったことは間違いありません。ようやく足に体重を載せることの意味がわかってきました。前より力強く漕げるようになったのは古郷さんや原万生さんのおかげです。

・身体のコンディションについて
身体の調子が悪いとわかった時はできるだけ早めに身体を休め、誰かにアドバイスを求めました。私がもう1年以上通っている鍼の人は何度私の身体の不調を良くしてくれたか数え切れません。身体は連動しており、不調は症状が出た場所ではなく自分が気づかなかったような場所にあることが多々あります。この前、練習後に左胸が息苦しくなった際には右の肩甲骨周りの筋肉の収縮や左肩の肩こりが原因だと言われました。

 

本当に長文になりました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。自分は奥にある感情を出すのがあまり得意ではないので、読んでいてびっくりした人もいるかもしれません。残り短い期間ですが、最後まで駆け抜けたいと思います。

タグ: