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良い4年間でした!

 お世話になっております。主将の片岡陸人です。
 対校M4-として挑んだ最後のインカレ、敗者復活で敗退してしまいました。当初出そうとしていたブログはインカレ予選前日くらいにはほとんど書き終えていたのですが、今回のブログは敗退という結果を受けてから新たに書いたものとなります。
 いざ書こうとしてみると、題材を決めるのが非常に難しく、何を書いてもなんだかしっくり来ませんでした。言葉というのは結果や実力により、伝える力を帯びるものだなというのを実感しています(というより、結果という後ろ盾が無いと、自分の言葉が伝わるか自信を持てなくなり、なかなか筆が進まないといった感じ)。
 色々悩んだ末、特にこれといったテーマを決めることは無く、4年間のボート部生活で考えたことや得られたものを幅広く振り返ることに決めました。
 長くなりますが、お付き合いいただけると幸いです。

Ⅰ.ボート部で心が動いた瞬間

古澤さん!僕の大学ボートのスタートダッシュはこの人と共に!

⓪はじめに
 最初は、ボート部で心が動いた瞬間を振り返りたいと思います。
 スポーツをしていると、自分の心が大きく動いたり、また人の心を動かせたりすることがあります。このような瞬間は深く記憶に残りますし、何よりスポーツをしていなかったらなかなかできてないであろう経験だと思うので、非常に貴重だと考えます。
 以下では、ボート部生活で特に心が動いた瞬間を4つ紹介します。

①1回生の全日本新人選手権、予選。

予選の様子

 1回生の全日本新人は、私のボート部人生を形作ったと言っても過言では無いくらい、沢山のことを学んだため、非常に思い入れのある大会である。
 上回生4人とクルーを組み、日々様々な発見をして、毎日がとても楽しかった。
 途中、ストサイ2人が怪我で抜け、新たなクルー編成の会議が行われた。結果、2ndの2人に乗ってもらうことになったが、その議論の中で私がどう試合に出るか色々悩み、迷惑をかけた。今考えるとかなり未熟だったが、先輩方は受け入れてくださり、とても感謝している。と共に、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
 その後、目標を1つに団結し瀬田でも良い練習を積んだ上で試合に臨んだ。結果、予選を1位通過。皆んなが苦労したクルーだっただけに、飛ぶように嬉しかった。少なくともその時点ではボート人生で1番嬉しかったし、今でもあの時の景色、感情を鮮明に覚えている。
 乗ってくださった皆さんはに勿論、色々わがままを聞いていただき、支えてくれた115期の皆様には感謝の気持ちでいっぱいである。

②2回生の全日本選手権、準決勝。

準決勝の様子

 対校M4-蓬莱として挑んだこの大会。瀬田での練習から全く順風満帆ではなかった。
 調子が良かったM4+駿と比較して、2000m水上TTの達成率は勿論、タイムまでも負けてしまうという現実。かなり劣等感を覚え、やるせない気持ちに包まれていた。
 大会に入っても、予選、敗復と満足のいくレースは出来ず、「M4+に順位負けちゃうなー」と負けず嫌いの私はそればかり気にしていた。 
 迎えた準決勝。予選、敗復の反省から、テコ比を軽くし、他艇に対して先行するまでスパートをかけ続けるというチャレンジプランで挑んだ。結果これがハマり、まさかの2着でA決勝進出。途中、本当に先行してしまったため、「A決行くぞ!」と叫んだことを覚えている(ストロークのため、3番の木戸さんにしか聞こえていなかったらしいが)。

あまりにも躍動感のないガッツポーズ

     船台に揚艇後、当時指導してくださっていた齋藤コーチに「ほんとすごいよ!人のレースで感動したの初めてかも!」と言われて目頭が熱くなった。と言うか、泣いていた。また、ホテルに帰ってビデオを見た際、伴走車でレースを撮ってくださっていた齋藤コーチの「いける、絶対いける」という小さな声が入っていたのを聞いて、とても嬉しかった。今でも忘れられず、たまに見返している。
 人生で1番嬉しかったレースはこれだろう。結果が出ない期間を超えて、殻を破る瞬間ほど嬉しいものはない。そう気付き、もっとボートにのめり込もうと思えたレースだった。

③2回生のインカレ選考エルゴ。

 この年のインカレ選考はいつもと違うことが多く、水上選考が複数日にかけて行われ、GPSで取ったタイムが単純比較で用いられるなど、疑問が残るような選考であった(これは以下の文章を書くために必要な前書きであり、今さら掘り返して不満を言っているわけではないことにご留意願いたい)。
 そんなこともあり、水上選考で納得のいく結果が出せず、不貞腐れて、その後のエルゴにあまりやる気が持てなかった(水上の後にエルゴがあった)。
 そんな中、その日のエルゴは高校時代の先輩であり、D大で主将を務めていたFさんが応援に来てくれることになっていた。Fさんに「こういうことがあって、もやもやしてるんです」と言うと、Fさんは「確かにその選考に不満を持つのはわかるけど、今それに不貞腐れて半端なスコア出したら、その意見もただの負け惜しみになるよ。しっかりエルゴ出して見返そうや!」と言って下さった。私は確かにそうだ!と奮起しエルゴに向かい、「負けてたまるか」という気持ちでベストスコアを出した。

いぇい!
部のSlackでのベスト報告の写真を自分入りでする慣習は、片岡発祥!

東大戦敗退など報われない気持ちがあった中で、出たベスト。かなり嬉しかった。そして、その時にFさんにかけていただいた言葉は今も心の中に残っている。

④本明川スポーツフェスティバル、双青戦。

いぇい!

    こちらは、上3つとはやや異なるが、かなり嬉しかったことなので、ここで共有したい。
 この大会は2回生の時の全日本新人選手権の3週間後くらいに行われる予定だったので、新人選M4+を母体に出場するのが順当だった。しかし、ストサイ2人の体の調子があまり良くないことにより、急遽ストサイ2人を招集することになった。1人は同期の小幡で決定したが、怪我人が多かったことや、秋季に向けてクルーが組まれていたことから、あまり現役の漕手が残っていなかった。
 コックスでは当時M2の禄さんが乗ってくださることが確定しており、私はピンと来たのだ、あの人に声をかければ乗ってくださるかもしれない!と。それが若林さんである。私が高校生の時のエルゴ大会から認識し、新歓で出会ってこの部活に入るきっかけとなった、憧れの先輩である。そんな人と一緒に試合に出るかもしれない!と思い、声をかけた。引退した後にしんどいお願いではあっただろうが、快諾して下さり、一緒にクルーを組むことができた。
 先輩2人の、京大ボート部での最後のレースになるので、負けるわけにはいかないという気持ちで臨んだ。結果は勝利。嬉しかった。そして何より楽しかった。上の3つとは毛色は違うが、本当に純粋にボートを楽しめたクルーだった。お二人、乗ってくださって、ありがとうございました!

握手!この後禄さんに水をかけすぎてしまう。

⑤終わりに
 以上で、心が動いた瞬間の紹介を終わります。どの4つも2回生までの出来事で、3〜4回生のものがありませんね。今大会でそのような瞬間に出会う予定だったのですが、それも叶わず。後の人生でも、このような瞬間に出会えたらいいなと思います。

Ⅱ.ボートの難しさ「自分は本当に正しいのか?」

これは昨年のインカレ決勝前のmtgだが、それっぽかったので

 私は高校からのボート経験者でかれこれ7年ほど競技に取り組んできたのですが、その中で最も難しいと感じ、最後まで向き合ってきた問題を紹介します。
 それは、「クルーボートに乗った際に、自分が悪い漕ぎをしていないか、確証がない状況で発言しなければならないことがある」ということです。
 熟練の漕手で感覚に優れている者なら、「〇〇のここが悪くてフラットが崩れている」だとか「自分は崩していない」だとか、言い切れる人もいるかもしれません。しかし、私はそのような域には達しませんでした。
 何かがおかしいのはわかるが、本当の原因はわからない、自分が正しく漕げているかもわからない。クルーボートに乗っていると、そんな中でも艇を良くするために発言しなければならない時があります。
 そこで自分がどういうスタンスをとり、どういう発言をするべきか。これは本当に長い間考え、苦労しました。「自分が今から言おうとしてることは合っているのか?限度を超えた他責になっていないか?」クルー間の不必要な衝突を避けようと、考え出したらキリはありません。
 「自分が言おうとしていることを、自分は本当にできているのか?」悩めば悩むほど、発言しにくくなります。そして、皆んなのフィードバックの機会を失い、クルーに良い影響をもたらさなくなります。
 かと言って、特に何も考えずに思いついたことを言うのも違う。そのちょうど良い塩梅が難しいです。私は答えを出せないまま終わってしまいました。
 でも、この難しい問題におそらく答えは無く、日々考えて練習に取り組み、クルーと議論する中でちょっとずつ自分のスタイルが確立されるはずです。
 これからも競技を続ける後輩部員は、日々の練習が良いものとなるように、考え、とことん悩み、最適なスタイルを見つけて欲しいと思います。頑張って!
 
 

Ⅲ.尊敬できる人

偉大な先輩方と。①
偉大な先輩方と。②

 最後はこれで終わろうと思います。私は母から「周りの人に恵まれてるね」と言われることが多いです。私もそう思います。ボート部では尊敬できる人、これからもずっと付き合い続けたい人にたくさん出会いました。
 同期の例を挙げると、何事も考えて行動していて頼りになる人、いつもは楽しい話ばかりしているのに悩みは真剣に聞いてくれる人、自分の話をしたら一緒の気持ちになって涙してくれる人、など沢山の素敵な部員に出会えました。
 これまで属していたコミュニティの中で尊敬できる人の割合が特に高いです。皆んな、京大に入ってまで日本一を目指してボートを漕いでいる人です。自分を律して頑張ることができて、立派な人が多いのでしょうか。そんな人達に出会えて、一緒に練習できて幸せでした。ボート部に入って良かったなと思います。

最後の瀬田練習後、船台で!

 「部員といるのが好きだから。」これは新歓などで、「なぜボート部にいるのですか?」という質問をされた時に、部員からよく聞く言葉です。
 1年生の時、がむしゃらに1人で練習し、ただ勝つことだけを考えていた自分は、「部員といるのが楽しいから」ということを在籍理由におく人に少し疑問を抱いていました。それは馴れ合いを助長しないかと。
 確かに、全く日本一など目指していなくて本当に仲の良い部員とわいわいしたいだけというのなら問題はあるかもしれません。が、部活でしんどくなった時、「素敵な同期がいるから、また瀬田に行こう」と思えるのは、とても素敵なことでは無いでしょうか。サボりそうになった時も、「尊敬している同期に見放されるかも」と思い、頑張れるのなら、とても立派なことだと思います。
 最初、馴れ合いの助長と頭ごなしに批判していた発言が、4年間を経て、京大ボート部に素敵な人間がいることを証明する何よりの発言であると気付けました。
 思えば、一回生の時に今も仲良くしてもらっている尊敬できる先輩と出会えた時から、ボート部にいる人間の魅力には気付いており、4年過ごす中で、それを言語化できるまでに自分自身も変化したということでしょう。
 私も、誰かのそんな存在であれたら良いなと思います。

116期ポーズ誕生の瞬間。(ちなみに発案は僕!)
梅澤が色んなところでやってくれるのが嬉しい!

 最後になりますが、そんな皆んなに応援してもらったのに、対校クルーとして結果を出せずに申し訳ないです。
 そして、今までありがとう。良い4年間でした!

           116期主将 片岡陸人