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ボート部への感謝を込めて

お世話になっております。4回生スタッフの飯沼です。インカレ最終日、引退前日にこのブログを書いています。ついに最後のブログか、と思いつつ、入部してから2回しかブログ書いてないわ、という事実に驚いています。まさか3回目のブログがラストブログになるとは。

1.滅びのバーストストリーム

ラストブログって、そもそも誰に向けて、何のために書くものなのでしょうか。人によって色んな意味合いを持つものだと思います。これまでお世話になった人達に感謝を伝えるためとか、入部してからこれまでの軌跡を振り返るためとか。

はたまた、入部して以来ずっと言えなかった闇の思想を引退直前にぶつけるため、とかの用途もありそうですよね。つまるところ引退直前に放つ「滅びのバーストストリーム」というわけで、「もう引退するから関係ないや!!!」ということです。ラストブログとは滅びのバーストストリームの性質を秘めているのです。

なら飯沼はバーストストリームを放出するのか、引退直前に大暴れするのか、ということになりますが、しません笑笑。冷静にボート部生活を振り返って、ボート部に対しては感謝しかないからです。

綺麗事を言っているわけではなく、僕は嫌なものには嫌だとはっきり言うタイプで、「お前マジでゴミ野郎だな、俺の前から散り消え失せろ」と直接言おうとするタイプです(そこまではっきり言う勇気はないけど)。だからこそ、ボート部への感謝と思い入れの強さは本物だと思って欲しいです。

2.神か人か

実はボート部に入部する前は厨二病が極まりすぎて、自分自身を全知全能の神だと本気で思ってました。まあ何でもできるだろ、と心の底から思っていて、神か人か、俺かその他か、みたいなスタンスでした。この時の人生の最終目標は、世界征服でした。

ずっと1人でいるとどんどん視野が狭くなり、極端なモノの考え方が始まります。馬鹿ほど自信がある、というやつです。入部当初、エルゴタイムで同期の中でぶっちぎりの最下位を記録したあの経験は、僕を全知全能の神ではなく人にしました。

僕は「全ての領域で頂点を取りたい、取らないと我慢できない!!!」みたいに本気で思ってしまうくらいに駄々っ子の負けず嫌いだったので割とマジで入部当初は苦悩しました。「どうしようかな、ボート競技でも全然勝てないし、同期とも上手くやれないし、もう無理だよーー」と頭の中でピーピー泣いていたのが入部当初の5月くらいでしたが、そこで変に諦めずに部内に残り続けたのは正解だったと思います。

最初に八役と仲良くなれて、中本さんに目をかけてもらえるようになったあたりから、「ボート部でやっていけるかも、ここを居場所にできるかも、まだ頑張れるのかも」という希望が見えてきました。そこから他の人とも仲良くなっていったあたりから本気で手応えを感じ初めて、みんなからカイちゃんと呼んでもらえるようになってきて、すごく嬉しかったのを覚えています。

ここまでの話でわかると思いますが、入部当初は僕は117期、ひいてはボート部でうまくやれるか、が本当に不安でした。自称「神」は人を恐れていたのです。僕をボート部に勧誘した岩田は廊下ですれ違っても、「あ、、、、あ」みたいな感じで目を合わせてくれないし。「お前新歓の時と態度違いすぎるやろ」と、ある種の結婚詐欺にあった気分でした。

だからこそ2回生の夏辺りでいよいよ上手くやっていけそうという確信を持てた時は本当に嬉しかったし、秋季あたりから116期や115期の皆さんとも仲良くやれるようになってきて、ボート部ってすごく楽しいな、と心の底から思えていました。その辺りから、ボート部は僕にとって必要な居場所となっていました。

3.休部前後の選択に関して

ただ、ここはサークルではなく「体育会」であり、求められるのは実力です。2回生の12月になっても永遠に8分前後で推移するエルゴタイムを目にしながら、かなり周りに対して劣等感を感じていました。また、2回生の1〜2月あたりから別で自分に適正があって勝ちを狙える領域が見えてきて、頭の中で「永遠に8分代で推移するエルゴタイム、ひいては漕手自体を損切りすべきか否か」という議論を脳内で始めてしまったのは後悔しています。

3回生の前期の半年間、休部してボート部から離れてしまったのは致命的な判断ミスだったなとも思います。

3回の後期にボート部に「スタッフ転向」で戻ってきても残りの引退までは1年間しかありません。つまり、大体の仕事を覚えた時には引退のタイムリミットが来ておしまい、というわけです。非常に中途半端で、ボート部において重要性の極めて低い立場で最後の1年を過ごすというわけです。もはや、「居させてもらっている」と呼ぶ方が適切とまで思います。

周りの同回生を見渡すと、3年間ずっと連れ添ってきた同期達と仲良くしながら、3年間積み上げてきた選手やスタッフとしての立場で最後の1年を迎えているのを見て、自分のこれまでの中途半端な立ち回りをすごく後悔しました。1回生の頃に入部していたら、半年間休部しなければ、みんなと同じような目線に立てていたのかな、と思うと結構しんどかったです。

そういう気持ちで週2くらいで合宿所に行くのはつらいので、「もう嫌だ、ボート部のことなんて知らないもん、嫌い」という気持ちが何度も溢れてきました。でもたまに岩田とかが可愛い笑顔を向けてくれるから、「あ、やっぱり好きかも」と心変わりしたりして。ボート部好きと嫌いの感情の板挟みに合う苦しみ。DV彼氏に依存してしまう人の気持ちが理解できた1年間でした。

4.ボート部との今後

できるなら心の底から、「色々あったけど本当に楽しいボート部生活だった」と言い切りたいところだけど、冷静にフラットに思い返してみるとそれは嘘だな、というのが1番しっくりくる今の言葉です。楽しいことも沢山あったけどモヤモヤすることも沢山あって、言語化できないけどもやつくものが溢れ出てくるこの感じです。

でも引退は引退で、これ以上ボート部にしがみつくよりは次のステージに進むべきだというのも理解しています。だからこそ、明日のインカレ最終日という区切りは大事にするべきだと思っています。

ボート部と離れるのはやっぱり寂しいという気持ちから、今年いっぱいは配置に入ろうかなと思っていた時期もありました。でも、それは違うかなという気がして。いつまでもボート部に依存するのは違うかなという気がして。いい加減ボート部への依存体質を乗り越えて、新たな一歩を踏み出した方がいい気がして。

そんなわけなので、インカレ最終日が終わったら、本当に合宿所にはもう行きません。「別に私、ボート部なくてもやっていけるんだから!!!あんたなんかもう知らないから…」、などと、思わずメンヘラになってしまうほどに、ボート部は居心地のいい場所でした。その居心地の良さにいつまでも甘えて、ボート部という場所にしがみつくのは良くないなとは真面目に思っています。

この2年間、本当に色んな方々から色んなものをいただきました。沢山もらうばかりで、僕がこの部活に何かを与えることができたのかはわかりませんが、間違いなくボート部は僕の人生にとっての転機でした。人生変えてもらったと本気で思ってます。また会える日を楽しみにしてます。

飯沼