初めまして、1回生漕手の大濱一樹と申します。
恐れていたブログの当番が来てしまいました。僕は文章を書くことがとても苦手です。特に話すことが指定されていない場合、何のテーマで書こうか迷いながら書いてしまうので、2つか3つの話題が同時進行するきしょい文章をよく生み出してしまいます。ブログを書くにあたって先輩方のブログをたくさん読みましたが、どれも面白くて皆さん文章書くの上手いなあと思っていました。初めてのブログなので自己紹介と、ボート部に入った理由を書こうと思います。
僕は愛知県の半田高校出身です。知多半島という小さい地域以外ではそんなに有名ではありません。一つ情報を出すとすればごんぎつねの作者の出身校です。ここで注意点なのですが、僕の実家があるのは半田市ではなくて東海市というまた別のところです。同期と話していて誤解されているかもと思うことがあるので、これを機に訂正しておきたいです。東海市には日本製鉄の工場があります。だいたいそれで全部です。高校は水泳部でした。水泳は幼稚園の頃からずっとやっていました。幼稚園年長の頃には4泳法(バタフライ、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ)を全部泳げました、すごいですよね。水泳は長いこと続けていましたが、中学には水泳部がなかったので、部活に所属して水泳をするのは高校が初めてでした。部活は皆良くて、しょうもない話や遊びで盛り上がれる、とても居心地のいいコミュニティでした。水泳やってて一番楽しい時期でした。この経験があったので、大学でも部活に入りたいと思っていました。しかし、この時は入るなら水泳部だろうなと思っていてボート部は存在も知りませんでした。
京大ボート部の存在を知ったのは浪人期です。というのも、化学の講師の方が京大ボート部出身の方で、稀にボート部の話をしてくださったからです。話の内容は大体一緒で、大学時代は4時半から瀬田川で練習して、汗臭い状態で電車に乗って大学に行っていた、フィジカルが鍛えられて朝に強くなった、といった感じでした。その先生は2徹でも平気な顔をして授業をするような先生でしたが、ボート部の生活はきつかった、地獄だったといっていました。当時の自分は、先生はなぜそんな地獄に自ら飛び込んだのだろう、自分は大学に行ってまで地獄に行きたくないなと思いました。
その後、大学に合格して四月の頭に新歓を調べているときにボート部を見つけたので、せっかくだから見に行ってみようと思いました。パンフをもらって漕手の生活みたいなところを見たら、やっぱり4時半練習開始とかいてあって、恐れおののきました。8時45分始業の高校ですらしんどいなと思っていた自分には無理だと思ったので、新歓期を満喫したらおとなしく水泳部に行こうと思いました。しかし、4月中旬にもう一回新歓に参加したら、なんかボート部に入ってみたいと思うようになりました。ここの気持ちの変化の記憶が全くありません。乗艇とかエルゴに楽しさを感じたのかもしれないし、木庭部長の話に感動したのかもしれないし、食べたらボート部に入りたくなる食材がすき焼きに含まれていたのかもしれません。でも入部の決め手になったものは覚えていて、自分が想像もしてなかったような生活を体験してみたいという、怖いものみたさ的な気持ちだったと思います。
地獄(ボート部)に飛び込んでから4か月とちょっと経ちましたが、今はとても楽しいです。心配していた朝の練習もなんとかなっていて、朝早起きして練習すると1日が長く感じて得した気分になります。同期は皆面白いし優しいし、全員ちょっと変で面白いです。先輩方皆さんカッコよく、東大戦やインカレを見に行って、自分こんなふうに戦ってみたいなと思いました。4年間頑張って、少しでも高いところまで行きたいと思います。これからよろしくお願いします。