初めまして。一回生スタッフの山崎和花と申します。最近は「のんちゃん」と呼んでくれる同期が増えて、非常に嬉しく思っています。なぜ題名がフランス語かというと、最近フランス語にハマっているからというだけの理由です。要するにミーハーです。最近は中国語も勉強し始めました。ミーハーですね。
さて、今回は私の経歴を紹介したいと思います。ちょっとクネクネしていてヘンテコかもしれませんが、しばしお付き合いいただけますと幸いです。歯磨きでもしながら読んでください。
群馬生まれ、新潟育ちの私はとにかくお絵描きが大好きで、物心がついた頃からプリキュアやら口の付いた3頭身のキティちゃんやら描いていました。(当時、キティちゃんを上手く描けず悩んだ記憶があります。多分口があって三頭身だったせいですね。)
小学生時代、学校は嫌いでしたが、絵に加えて読書とミニチュアが大好きになりました。本とリカちゃんがなかったら、当時の私はどうなっていたか分かりません。とっくに不登校になっていたでしょうか。
小学四年生のとき、新潟市ジュニア合唱団に入部しました。クラシックからポップス、ミュージカルまで何でもやる大きな合唱団で、高校の音楽科に通う団員やミュージカル俳優の卒団生がいました。小学二年生から高校三年生まで幅広い年齢層の団員で構成されていたため、異年齢間の交流ができ、非常に有難い経験となりました。中学生の頃まではとにかく合唱一筋で、家にいる時間はほぼ歌やダンスの練習に回していました。

そんな中、高校受験期に見た声優のトーク動画をきっかけに、声優になりたいと思うようになりました。高校に入学してからは、色々ありましたが、(運動音痴でハンドボール投げ9mのくせに、硬式テニス部に入部しました。青春っぽい青春を味わってみたかったという理由です。一週間で辞めました。) 声優に近づくため放送部に入部しました。
高校時代、「声優になりたい」という気持ちはどんどん大きくなっていき、東京の養成所に通わせてくれとわがままを言って母を困らせました。声優になる訓練と合唱団は両立できないと思い、合唱団は高一の夏に退団してしまいました。結局、養成所通いは叶いませんでしたが…。
一方、放送部は割りに成果が出て、高二の夏に朗読で全国大会準決勝まで行きました。高三の夏には(受験生の分際で)東京と鹿児島の大会に出場し、コロナの鬱に負けないくらい、キラキラした思い出ができました。
これと並行して、高一の夏~秋ごろ「美大に行きたい!!!」と思い至りました。(今も行きたいです!) 美大専門予備校のパンフレットを取り寄せ、両親に予備校に通う約束をとりつけ、とにかくワクワクしていました。が、担任教師の反対で私の気分は撃沈し、あっけなく諦めてしまいました。今思うと私は結構、人からの反対に弱いのかもしれません。

高二の秋から冬頃、今度は学校の勉強についていけなくなり、学校を辞めようと思いました。「東日本一進度が早い数学の授業」を謳う母校ですが、こと数学関しては塾に行っていない人や勉強が苦手な人にちょっと冷たく、解説が適当な授業が少なくありませんでした。(「このページ読んで!はい分かったね!次行くよ!」というような授業もあったほどです。) 決して数学が得意でなかった私はすっかりダウンしてしまい、学校に行きたくなくなってしまいました。ただし、勉強そのものを嫌いになったわけではなく、通信制高校に通って自分のペースで勉強したかったのです。
ところが通信制高校を探しているうち、今度は専門学校にいって製菓を学びたい!と思うようになりました。お母に必死に交渉しては渋られることの繰り返しで、かなりフラストレーションがたまっていきました。もっとも今考えれば、母が渋るのは当たり前なのですが。なにしろ当時の私は半年に一回、ひどいときは一か月に一回、言うことがコロコロ変わっていたのですから。
例にもれず、通信制高校と専門学校の件も三か月ほどで諦め、お茶の水大学の食物栄養学科に行くと言い出しました。マジで勝手な奴ですね。悪かったなマミー。

ところが高三の三月、京都大学に合格した先輩とお話しする機会があり、すっかりスイッチが入ってしまいました。私は宣言しました。
「やっぱり、京大行く!」
さあ、そこからは大変です。本格的に受験勉強を始めたものの、それまでの高校二年間みっちり勉強していた同級生との差は大きく、かなりしんどい一年となりました。受かった未来を考えて、過去を悔やんで、今が疎かになっていました。苦しい今から逃れたいあまり、ネットやアニメに逃避した時期もありました。受験生として失格ですが…
共通テスト当日、精神は最高潮に不安定でした。英語リーディングと数学IAの試験で過呼吸を起こし、頭が真っ白になりました。京大の二次試験では手が悴んで名前が上手く書けず、何度も何度も書き直す始末でした。

結局、というか案の上浪人し、代々木ゼミナールに入りました。朝7時半から夜の9時まで自習室で、自習室が閉まってからはマックや家で勉強し、バス停での待ち時間や移動時間、食事の時間も全て勉強に当てるような生活でした。夏休みまでは精神的にかなりきつく、朝ストレスで体を起こせないことや、夜中にパニック症状で飛び起きることもしばしばでした。
とはいえ、夏休みに心療内科に通い始めてからはかなり楽になり、浪人期初めての京大模試でA判定を取れてからは精神的に安定しました。そこからは勉強がとても楽しくなり、いくらでも頑張れる気がしてきました。代々木ゼミナール新潟校は生徒数が少なかったので、全国的に有名な一流講師の授業を少人数で受けることができ、本当に幸せでした。京大クラスの仲も良く、「仲間がいるから頑張れる」というのはこういうことなのかな、と思いました。
無事大学入学が決まり、新歓前から子供食堂に入るか、フードバンクのNGOに入るかのどちらかにしようと思いました。新歓は入る予定のサークルだけ見に行くつもりでした。ところがどっこい、食堂の前でボート部の勧誘を受け、あれよあれよという間に入部していました。人生って分からないものですね。ウン。
さて以上、長々と私の来歴をお送りしました。今振り返ってみると、色んな人(主に両親)に激しく迷惑をかけてきたようです。
ですが裏を返せばそれは、多くの人に支えられながら生きてきたということ。このことは今、このボート部においても同じです。私を温かく迎え入れてくれた先輩方、大好きな同期のおかげで私はここにいられます。そして今度は、私がみんなのために頑張ります。ベタな台詞ですが、大切なことだと思います。
それでは皆さん、どうぞ京大ボート部の応援よろしくお願いします!Au revoir !