いつも応援ありがとうございます。3回生後期も終わり既に来年の卒論に怯えています、漕手の石田ゆきです。
今回は短いブログを書こうと思います。何を書こうかと、考えていることはいろいろあるけれども、伝えるとなると難しいですね。とりあえず身近なところから書きはじめてみます。
私は目がちょっと悪いです。眼鏡をかけているので一目瞭然ですね。そこまで悪いわけではなく、裸眼でも人の顔や文字の判別が難しくなるくらいですが、お風呂と寝る時以外は常に眼鏡をしています。
先日少しだけ眼鏡を外して外を歩いてみました。どこに何があるかは分かるけれども輪郭がぼやけていて、初めて眼鏡を作った時に輪郭のはっきりした世界とぼやけた世界を交互に見て感動したのを思い出しました。
眼鏡はほとんど体の一部のようなものなので、私の力で見ることのできる世界はこれなのだと錯覚していましたが、現実の視力はいかほどかを突きつけられて少し悲しくもなりました。
人間の今ある当たり前に適応する能力は非常に高いなと実感する瞬間は多いです。日々目の前にある同様の環境を「いつもの」として自動的に処理し、効率化することが進化のたどってきた道だったのでしょう。生物としてはそれで正解かもしれません。でも自然に生きるヒトとしてではなく、社会的存在としての人間としてはその当たり前の適応に抗う力が求められていると思います。
私が眼鏡にいただいている鮮明な世界を己の視力と思い込んでいるような、同じような錯覚が他にいくつあるのだろうかと思いました。
不自由のない生活ができている。ご飯が美味しい。大学に通えている。ボートができている。応援してくれる人がいる。困ったら助けてくれる人がいる…挙げ出せばキリがないでしょう。
これら全部、当たり前と享受してしまうのは容易いです。だけど、当たり前じゃない。眼鏡を外したら、私の世界はピンぼけなのです。誰かのがんばりの、はたらきの、気持ちの上に、私のためでも私のためじゃなくても、そこにひとの存在があって成り立っているのが今私の生きている人生で、見ている世界なのだと思います。
ぜんぶ私のおかげで、ぜんぶ私の努力の成果だと思ってしまうのは簡単だし、心地よいから流されてしまうこともたくさんあります。
だからこそ、視界の最前線でぼやける眼鏡に、焦点を当てる努力を私はしなければならない、したいと思います。
あらためて支えてくれているすべての方々に感謝し、言葉でも行動でも、感謝を示せる人間でありたいです。