お久しぶりです。2回生スタッフの黒澤です。
この時期は部活もバイトも新歓期に突入し忙しない日々が続きますね。昨日はバイトの新歓的なものに奔走し、なかなか深い時間でした。忙しい方がやっぱり性に合いますね。暇だと自堕落な生活に陥りますし、空虚に意味を持たせてしまういらぬ思考を始めてしまうので負のスパイラルへと没入してしまうのです。こうした私の思考の偏重性は、自他共に認める足枷になっており、結果的に空白の時間を連鎖させてしまっているのです。
私は暇が一番の敵だと最近気づきました。そのため、私の春休みの生活は何かと予定を無理矢理にでも詰め込んだ日々になりました。忙しなく非牧歌的な日々が私のとってプラマイどちらかは春休みが終わってからでないと分かりませんが、今のところは無色透明、判断するには時期尚早ですね。参考程度に私の2/1から現在に至るまでの予定を載せておきます。
2/1 部活
2/2 バイト
2/3 バイト
2/4 部活
2/5 バイト
2/6 バイト
2/7 バイト
2/8 バイト
2/9 バイト
2/10 バイト
2/11 部活
2/12 バイト
2/13 バイト
2/14 外出
2/15 暇
2/16 家の用事
2/17 バイト
2/18 バイト
2/19 バイト
2/20 バイト
2/21 バイト
2/22 外出
2/23 外出
2/24 バイト
2/25 部活
2/26 バイト
2/27 バイト
2/28 バイト
3/1 バイト
3/2 外出
3/3 旅行
3/4 旅行
3/5 旅行
3/6 旅行
3/7 部活
3/8 旅行
3/9 旅行
3/10 バイト
3/11 バイト
3/12 バイト
3/13 バイト
3/14 バイト
3/15 暇
3/16 バイト
3/17 部活
3/18 バイト
3/19 バイト
3/20 バイト
3/21 バイト
3/22 バイト
3/23 旅行
3/24 旅行
3/25 旅行
3/26 バイト
3/27 バイト
3/28 部活
3/29 部活
3/30 部活
3/31 バイト
忙しいアピとかではないですが、こう見るとバイトと部活で全部埋めているのがよく分かりますね。こんだけ働いてもクレカの支払いで相殺されるので、稼ぎはありません。
最近先輩と関わることが増えました。部活でもバイトでもです。昔までは、先輩となると自ら壁を作ってしまって一歩引いてしまう癖があったのですが、最近はそれも緩和されつつあって、先輩とも敬意を持ちながら親しくできる習慣がついてきました。特にたなちーさん、Tさんのお二人には最近お話しさせていただいたり、仲良くしていただいたりしております。感謝の気持ちでいっぱいです。他にも、旧対校に行くと寒河江さんが十川や長嶋と一緒になって相手してくださったり、202ではここたさんが私の厳しさに呆れかえっている様子をよく目にします。118thは私が異常者であることを、やけに誇張して主張する影響で、先輩にもそうした扱いを受けるようになりました。非常に嬉しいです。やっぱり私は人から乱雑に扱われる方が気を遣わなくてよくて快適です。
ただ僕が部活にいる意味ってなんやろうなぁと考えることが最近増えました。てらちのようにテキパキと仕事をこなして指示を出し、全体を監視できる能力はありませんし、あおてんのように周りに癒しを与え、トレーナーとして部員から必要とされる存在でもありませんし、日生下のようにOBOGさんと関わって、コミュニケーションを上手くとれるわけでもないですし、勝見のように東大戦の仕事に没頭し、企業の方と連絡をとったり後輩に上手く指示を出せたりするわけでもないですし、篠原のように栄養管理部門として後輩と良い関係を築いて、エッセン会計に真剣に取り組めるほどやる気があるわけでもないですし、阪上のように周りに気を配って先輩といい関係を築いたり、他人の全てを肯定できるわけでもないですし、坂本のように病的なまでに何かに熱中できるわけでもないです。塩谷は未知数ですが、きっと僕よりはコミュニケーションが取れますし、後輩からもよく慕われるようなスタッフになるでしょう。では僕は何か秀でてるのかと言いますと、それがなかなか見つからないのです。部活に来たら仕事をするのかと思いきや、林のもとへ一直線に歩き、車に乗って旅に出て、帰ってきたかと思いきや、長嶋や十川と他愛無い話に花を咲かせる。なんにも仕事をしていません。私は会計ですが、筈井さんやキムに支えてもらってばっかりで、不甲斐なさと情けなさだけを感じる日々を過ごしています。
では僕が部活にいる意味はなんなんでしょう?
ボート部のみんなは優しいので、仕事やってくれてるよ!や異端児やからいいね!といった励まし(?)をくれることが多いのですが、いまいち腑に落ちません。僕は仕事をしている自覚はありません。異端児である自覚はあります。ただそれは褒められたものではないです。褒め言葉だとしても、ボート部にいる意味にはならないはずです。ボート部員というよりも人としてのようなメッセージに感じてしまうのです。ただ僕はボート部で人間関係だけ作り上げて、部には貢献できない人物になってしまいました。責任感はあるのかないのか、同じ目標に向かって走っているのかいないのか、曖昧なまま2026年を迎え、新年早々糸が切れてしまいました。
息苦しさや頭痛、立ちくらみ、恐怖でSlackを見れない。まあ全部僕が悪いんですが、部活に対して思いが切れてしまいそうになりました。仲の良かった部員とも会う気が起きず、暇があってはいらぬ想像をして、また病みを繰り返していました。ただそんな僕を救ってくれる部員の人もいて、優しい言葉掛けや配慮をくれるたびに申し訳なさと部活への思いが徐々に回復していきました。そして僕は気づきました。僕が部活にいる意味はこれなんやと。
我々スタッフは表舞台には立ちません。ただ陰で漕手達の活躍を祈り、見守る存在。普段の練習でも、監視をしてエッセンを作ってタイムをとって、クルサポをして… 全部自分のためではなく、他の部員のため、組織のため究極の利他主義がそこにあります。
僕はここに目をつけ、僕のいる意味を見出しました。誰もが仕事ができて、有能スタッフだと言われる必要はないんだと思いました。人間であれば誰しも人と比べてしまいます。そしてこの比べるは大抵は否定的な意味で用いられます。それがよくないんです。僕たちは「らしさ」を持っているんです。それが人から目に見え、評価されやすい「らしさ」なのか、普段は活躍しないがここぞというときに出てくる「らしさ」なのか、人様々です。僕たちはこの「らしさ」を比較し合っています。個性を比べて、一部の劣っているところを見つけて自分全体が劣っているんだと錯覚してしまう、それが僕が陥ってしまうがちな思考パターンなのです。答えはそうではなくて、一部の劣っているところも秀でているところも全て含めて「らしさ」であって、僕らはそれを愛するべきなんです。その「らしさ」の発現様態が人によって異なって、評価されやすいされにくいという性質も持ち合わせているんだと思います。僕は人から目に見てわかるように評価されるような「らしさ」は持ち合わせていません。ただ僕は人からの評価を気にする分、人の気持ちを洞察できる「らしさ」を持っているんだと思います。それが目立たない形だろうが、誰かの心の支えになるのなら、僕はこの部活にいる意味があるんだと思います。スタッフは感情を共有して、親身になって人のために尽くす、そんな伴走者なんだと思います。僕が参ったときに支えてくれたように、僕も仕事ができないなりにも工夫して、誰かの支えになれるようなそんなスタッフになれたらいいなと最近思いました。
そういえば最近、坂本が僕の前の下宿先に突然来て、釜当をして帰る夢を見ました。おかげで寝坊しました。あとアラビア語全部単位取れたので、アラビア語は卒業です。アラビア語の意志はがくらに継ぎます。مع السلامة
最後にみなさんにメッセージを残します。
ある日突然それは瞬く間に 雄大な川の流れに流された十川の靴のよう
100M先でも聞こえてくる 馬鹿でかい井村の笑い声
長嶋と歩んだ意味 感じてた意味 熱意旺盛な林倖生
心から愛してるよ平井雅治
だけど僕はやっぱり、好きよりも愛してるがいいな