お久しぶりです。4回生スタッフの森本耀介です。
今回は引退ブログですね。書いている途中で思わず書きたいことが無限に湧いてきて止まらなくなっていました。ちなみに提出締め切りを過ぎてしまった言い訳ではありません。
これから、京大ボート部としての4年間における思い出の地を振り返ろうと思います。
時系列を犠牲にして読みづらいかもですが、お付き合いいただければ幸いです。
琵琶湖漕艇場
漕艇場単体の写真がなかったので勝手に使わせてもらってます素敵な写真ですね
入部後に初めて来た石山で、何も分からないまま観戦に連れられた朝日レが最初でした。観戦中に玉牧と初めて話したのをなぜかよく覚えています。ボートの知識がほぼ皆無だった当時の自分としては、どの艇を応援すればいいのかも分からない中で他大学やその保護者・OBOG、応援団の文字に表せない声援が飛び交い、とにかくカオスだった記憶しか残りませんでした。経験として良いか悪いかはさておき、部員としてボートの世界に初めて触れたのは、この漕艇場でした。
そういえば懐かしのドライブ逆位相事件も新人期の京都レでしたね…(分かる人には分かる)
2回生の朝日レは何より無力感。気合はあった、でも短期間のたたき上げではごまかせない実力の低さに悩んでいた時期でもありました。故障者の続出により滑り込みでクルーに選出された自分を育ててくれた先輩やここたには感謝しています。
スタッフとしての初の大会配置も朝日レでした。この時恥ずかしながら初めて、スタッフが本部テント下でリザルトやメーリス作成で時間との闘いを繰り広げている現場を目の当たりにしました。パソコンのタイピングすら怪しかった当時の自分は、「ここもっと良い表現ないか」とか「午後のレースに間に合わせなきゃやばい」とか言いながら怒涛の如くレース結果・組み合わせを書き上げるスタッフに圧倒され、スタッフとしての向上心に火が付いたきっかけとなりました。
戸田
2023東大戦の日の戸田1コ上の代の東大戦の観戦に来たのが最初の戸田でした。1750地点あたりから叫びまくりながら岸の際を走って対校エイトを追っかけていました。先輩の勇姿を見て、負けてはしまったもののむしろ、その悔しさが自分事のようにボートへの熱を沸き立たせました。思えばここが、ボート競技にのめり込む原点とも言える場所でした。
2回生ではJOでエイトとして出場。初めての他団体との混成クルーで緊張もありましたが、予選で負けたクルーに最後のレースで競り勝つ経験はこの上ないものでした。
3回生のインカレ遠征では、通信障害でメーリスを送れないまま時間だけが過ぎ、21時を回ってしまったときは胃がキリキリしました。寝ているときは歯もキリキリしていたみたいです。同室だったてらちごめんね。最終日には部員で円陣を組んで幹部一人一人からありがたい御言葉をいただき、もう本当に自分たちの代が幹部なのかという本格的に身が引き締まる思いになった場所でもありました。
加古川
いつかのおはようツイート①加古川と言えば、新人期を締めくくる秋季大会。来年新人コーチになる身として思えば、中本さんをはじめ自分たちが如何に多くの偉大な新人コーチに見てもらえていたかに驚きすら感じます。新人同士のレースで、上回生に引っ張ってもらったどころかむしろ上回生の足を引っ張りまくったとはいえ、エイトで大会を優勝して実際に金メダルを貰ったときは何とも言えない最高の喜びをかみしめました。金メダルはかみしめてませんよ。決勝での無限足蹴りコマンドもいい思い出。
119期の秋季では、この手で後輩・同期の優勝の瞬間を一眼に収めることができて嬉しかったです。配置外では青天や黒澤ともあれこれ語りましたね。今年も誰か一緒に語ろう、ハイエース出すよ。
浜寺
いつかのおはようツイート②関選で行く度に何かしらの異常気象が起きる浜寺。そんな中でも漕ぎまくり、試合に出て死力を尽くせる選手の、精神的・生物的な強さを最も感じる場所でもあります。
1,2年目の浜寺は強烈な日射と半袖短パンという自分の熱さ対策の甘さが重なってどちらも風邪と熱中症でダウン。特に2年目は遠征配置で痛恨のミスをして大遅刻、電話でも放送でも呼び出される始末。ここら辺何をしとんねん。自業自得とはいえ良い記憶がないです。
3年目、万全の暑さ対策を施した自分の前に立ちはだかったのはまさかの土砂降り。本部テントは雨漏り。ずぶ濡れの中積み込み。混乱が重なり紛失物探し。精神的には一番大変な年だったかもしれません。その傍ら、ボートホルダーやタイム取り・放送など補助員配置をコンプリート(?)しました。
瀬田川
写真フォルダに転がってたエモい船台船台を見るだけで、川沿いを歩くだけで、無限に出来事を思い出せる気がしてしまいます。
びわしゅー後にダイナミック瀬田川ダイブしたこと
船台から落としたスマホを回収しに素潜り漁師になったこと
大会から帰った夜中に同期と船台に大の字になって黄昏たこと
揚艇直前に沈したこと
新人期ダブルのミドルレート2000*6並べで、しんどすぎて漕ぎながらヘドバンしてたタイミングをビデオに収められたこと
同志社船台下カーブの藻地帯に捕らわれて数十分かけてなんとか脱出したこと
近くをふらついていただけなのになぜか蹴り出しの音頭に選ばれたこと
東大戦で負けたときはしんどかったなあ。自責で、揚艇後の船台の沿道であたたかく迎えてくれる人を直視できなかった。だからこそこの前119期が勝ってくれた時は喜びの絶叫の中、周りに人がいなければ泣いてしまうほど、人知れず感極まった。塗り替えてくれてありがとう。
スタッフになってからはモーターの運転者になり、水上から国一やセーヌにはめったに行かなくなったことは若干寂しくもありました。
最初の頃のモーターでは船台に着岸するのすら難しく、先輩やコーチが見る目の前で船台と鈍い音を立ててぶつかり、恥ずかしい思いをしていました。
ペアマトの監視では、艇をよけつつ選考のモーションビデオを安定して撮れるよう水上で位置取りを考えるのは意外と難しいものでした。
艇が周りにいない時は、モーターの上は相方のスタッフとの雑談・意見交換の場でもありました。
冬季には、スタッフに限らず誰しもが言ってることかもしれませんが、「冬季が長い」ってこういうことなのか、というのを実感しました。冬の極寒の川では、事故を起こすのはもちろんのこと、沈するだけでも一大事。電話の着信・視界の端で起こっているかもしれない沈への反応は一刻を争います。その絶え間ない緊張感が、スタッフとしての冬季をイヤというほど長く感じさせました。ただ自分は寒さには強い方なので、寒いという意味で長く感じることはありませんでした。モーター上で動かないスタッフが寒いのは当たり前で、スタッフの総意としてはむしろこっちが優位なのかもしれません。自分はまだ恵まれた方です。
いざ振り返って書き出してみると、本当にいろいろ出てくるもので、自分でもびっくりしています。景色の写真を見るだけでも、懐かしいような、ただ時々苦いような、ありありと光景を思い出せぬまでも感情だけが心にちらつく思い出の断片のようなものが沸き上がってくる、そんな不思議な精神状態になります。感慨深くなるとか感傷に浸るっていうんですかね。そんな具合なので、OBになってから実際に現地に行ったら、そこへ行くまでの道のりを歩くだけでも感情ぐちゃぐちゃになりそうです。
良い思い出も、しんどい思い出も、心のどこかで色あせることなく輝き続けるであろう、最後の青春の聖地。
また社会に出て数十年後とかにふらっと訪れてみるのが楽しみです。
最後に、入部して以降休部も経ても変わらず自分に関わってくれた、同期をはじめとした皆さんにはとても感謝しています。ありがとうございました。
インカレでは一つでもいい結果を掴み取れるよう応援しています。初日は間に合わないかもですが、なるべく早く現地に赴いて応援します。
京大ボート部の部員としての時間も気づけば1週間もありません。以降は新人コーチの一員として、来年までは合宿所でお世話になります。
