はじめまして。一回生漕手、120期の柘植向陽(つげこうよう)です。早朝練習が始まり寒さや眠気と格闘する日々を送っています。免疫が弱い僕は体調を崩してしまいました。皆さんは体に気を付けてください。初ブログということでありきたりですが、自己紹介と入部に至った経緯、そしてボート部で芽生えた考えを書こうと思います。
学部は工学部の情報学科です。AIやデジタル世界での創作に惹かれて駿台名古屋校での浪人期間を経て入学しました。しかし僕自身が情報系の分野に強いかといわれると全くそんなことはなく、今年の共通テストの情報では文学部の妹に負けてしまいました。同じく文学部の兄はハードオフでパーツを集めて簡易PCを作っていました。タイピングすら危うい僕が家族で一番デジタルに疎いかもしれません。前期と夏休みはボートをしていたら終わってしまったので後期はボートに打ち込みつつもうちょっと勉強して賢い筋肉ダルマになれるように頑張ります。
出身は愛知県のみよし市という町です。県民でも知らない人がいるような田舎の市です。これは田舎あるあるだと思うのですが、イオンぐらいしかデートスポットがないので休日に映画を見に行ったりすると高確率で同級生カップルに遭遇して気まずいです。そんなみよし市ですが隣にはあの天下の豊田市があるのでそのベッドタウンや自動車工場の建設地としての需要にあやかり財政を潤しているそうです。また、みよし市は実は「カヌーの町」としてちょっとだけ有名です。先日開催されたアジア競技大会でも市民の憩いの場である「三好池」がカヌー競技の会場として採用されていました。
中学ではそんなみよし市の特色と兄が部長を務めていた影響もあってカヌー部に入部しました。一応エルゴもあったのですが、ボート部員が敵視するあのエルゴではなくカヌーの動きに寄せたエルゴです。当初はエルゴメニューの回数が全体の1割もなかったし追い込むようなものではなかったので、エルゴ=恐怖 という認識はありませんでした。最も恐れていたのは冬場の沈です。それなりの頻度で極寒の三好池に沈していました。そのたびに生命としての危機を感じていました。ボート部もこれから冬の練習に突入していくので、フローター付きシングルスカルで出艇30秒後に沈した僕は生き残れるのでしょうか。
高校は公立の岡崎高校に進学しました。東海オンエアや徳川家康で有名なあの岡崎市です。京大ボート部に多くの人員を輩出している旭丘高校を進学実績でバチバチにライバル視している高校です。現在、岡高出身の部員が4人いるので次の新歓で岡高出身の新入生にいっぱい入部してもらって幅を利かせていきたいですね。部活は数学部に入りました。理由としてはそろばんを習っていた影響で数学が好きだったこと、片道40分の自転車を含む登下校と運動部の両立がハードそうだったからです。今となっては1時間かけて自転車で滋賀までボートしに行っているので気持ち次第で何とかなるものなんですね。数学部という名前なのに数学をまともにやったのは入部後の2か月間くらいだったと思います。ありえないほどゆるい部活でほとんどの時間を部員と駄弁って過ごしていました。のほほんとした時間を積み重ねたような日々でしたが確かに自分の中にかけがえのないものとして残っています。逆にボート部ではハードな日々を積み重ねて日本一を取りに行きたいです。
そして大学に入り、新歓をめぐる時期がやってきました。当初の計画としてはいろいろな団体をまわってご飯をおごってもらい最終的に緩めの運動系サークルと文化系サークルに2,3個入ればいいかなぐらいに考えていました。そんななか、明確にターニングポイントとなった新歓がありました。それはボート部の新歓ではありません。学科でたまたま仲良くなった友達が「歩くこと」が好きで、あるランニング系サークルのイベントのチラシを持ってきました。それは「真夜中に奈良から京大まで50キロ歩きとおす」という刺激的な企画でした。好奇心につられて参加したこのイベントが僕の大学生活を決定づけました。そのイベントで、なんと120期の井口、一山、高野、前田、山田と初対面しました(一山とはセブンのトイレドア越しに中身のない会話しただけだけど)。山田との初会話は鮮烈に覚えています。高野との初会話の中で僕が北白川(京都の地名)に下宿しているという話をすると高野が「そこの山田ってやつも北白川に住んでるよ」と教えてくれました。これは良い会話の切り口だと思い、それまでゴツくて怖かったからなかなか話しかけられなかった山田に「北白川のどの辺に住んでるの?」と思い切って話しかけてみました。すると、山田がフリーズしてしまいました。一呼吸おいて返ってきたのは「俺、神戸住みだよ?」という返事でした。訳が分からず僕もフリーズしてしまい気まずい時間が流れました。結論をいうと、山田は神戸の実家に住んでおり高野がホラを吹いたのでした。初対面でうそをつくなんて本当に憎たらしいですねこの男は。しかし、こんなバカげた会話がきっかけとなり山田がすでにボート部に入っていることやボートの魅力を聞きました。「ボートは良いぞ」「確かに楽しそうだね」こんな会話を(後半は足痛すぎて無言だったけど)50キロも続けていれば自然とボートへ興味が増していきました。カヌー経験があったために水上競技に対してほかの人より敏感なアンテナを持っていたことや自分の流されやすい性格もあってこの日に8割方入部を決めていたような気がします。偶然、この二日後にボート部の新歓を予約していたので最終確認ぐらいの気持ちでボートレースに参加しました。原そうさんの班に入れてもらい、水上で風を切る感覚は心地よくてひたすら楽しかった覚えがあります。先輩の雰囲気も良くて、唯一の心配事だった早起きも八役さんの「それはまじで何とかなる」の一言に押されて3階の畳部屋で入部宣言をしました。
そんな経緯で入部して約半年、最近よく考えることを書きたいと思います。
まずは先輩すごいなあというシンプルな感想です。日々のハードなエルゴメニューや早朝練習をこなすたびに2回生以上の人たちはこれを乗り越えてきたのかと感心してしまいます。技術・体力面で言ったらクルーを組ませてもらっている玉牧さんは僕が本気でやっても上がらない重さのバーベルをひょいひょい上げてしまうし未熟な1回生のためにバウでバランスを調節しながら漕いでくれていて、寒河江さんは整調をやったらそれだけでエイト全員の漕ぎの質が変わって僕が整調の時は出せないようなレートや出力を引き出してしまいます。訳あってコーチの早川さんが僕の目の前のシートで漕ぐのを見られたときは、あまりのボディスイングの鋭さにこれまでの数か月で積み上げた漕ぎの常識がたった一回の乗艇で塗り替えられてしまいました。そして僕の知っている先輩が新人の頃には僕の知らない先輩が教えてくれていて、その人たちにもまた先輩がいて…
さらに4年間ボート部をやり抜いた超人たちがOB・OGとして支えてくれて伝統を紡いでいると思うと、ただ漠然と先輩すごいなあ、伝統すごいなあと感じてしまいます。
そしてボートに限った話ではないのですが、落ち込んだときはある程度わりきって次にできることを考えるのが大事だなと思うようになりました。というよりもそうするしかないというほうが正しいかもしれません。それこそ先ほど書いたように先輩との圧倒的な差を目の当たりにしたり同期のすごい面に触れたりして自分との比較で落ち込みそうな時でも結構すぐに切り替えて自分にできることをやろうというマインドになってきている気がします。
それでも簡単には割り切れないことが最近ありました。それは京都レガッタ決勝戦での敗北です。僕は整調としてエイトに乗っていました。正直、僕のせいで負けてしまったという思いが抜けません。もっとうまくスタートできたら、もっと押し切る技術があったら、クルーのみんなが漕ぎづらいリズムに引き込んでしまったのではないか、先輩が整調だったらもっと良い順位が見られたのではないか、などなど考え出したらキリがありません。この敗北を割り切れない一番の理由はやっぱりレースだからです。レースに勝つために普段の練習で落ち込みかけたときも割り切ってやってきているのでレースでの敗北は割り切らず正面から受け止めないといけないなと思います。落ち込めるだけ落ち込んでからその悔しさを背負って次に進もうと思います。京都レガッタの敗北は余すところなく悔しい思いをしてちゃんと落ち込みました。この思いを胸に秋季選手権に向かいたいと思います。
京都レでは悔しい思いだけでなく予選1位通過することで勝利の味を知ることもできました。ボート部人生で一回でも多くあの瞬間を味わえるように頑張ります。先輩、同期、スタッフ、OB・OG、応援してくれる友人や家族、そして自分のために勝ちたいです。ここまで読んでくださりありがとうございました。