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謝罪できる能力

こんにちは、2回生漕手の太田です。
今回もネタが見当たらなかったので漫画についての回にしようと思っていたのですが、毎度同じようなブログなのも面白くないのでちょっと意識が高い話と最近あった悲しい出来事について書こうと思います。
僕はついこの間までずっと実家にいたのですが、京都に戻る時にお母様にこの本を貸していただきました。

この本には帯に書いてあるとおり、世界についての知っておくべき教養が書かれています。この本を読んでいると、自分がいかにこれまで偏見と先入観で世界を見ていたのかに気付かされ、「将来のために世界を知らなければ!」という学習意欲が湧いてきます。最初のイントロダクション部にあった世界の実情についての質問には、僕は13問中1問しか正解することが出来ませんでした(ただ僕に常識が無さすぎるだけかもしれませんね…)。おそらく大抵の人は自分の中の常識がひっくり返されると思うので、暇がある時に読んでみることをオススメします。
ここまではちょっと意識高い系の話なんですが、ここからは僕が体験したちょっと悲しい事件についての話になります。

僕は先月末に高校の時から仲が良かった友達と大喧嘩?のようなものをしてしまいました。僕が悪かったところもあったのでもちろん謝ったんですが、傷つくようなことを次々と言われ、もう自分から連絡を取れなくなりました。まあその子は半分冗談のつもりで言っていたんだと思いますが、やっぱり言葉の傷って残りますね…。何気なく言った言葉で相手を深く傷つけてしまったことは僕自身何度もあります。勢いで言ってしまった暴言や本音のせいで取り返しのつかないことになることってよくあると思うので、そのようなことが起きないように今後気をつけて友達付き合いしていきたいです。まあ仲が良くなるにつれて衝突することも多くなるとは思いますが、感情に任せてしまうのではなく冷静になって俯瞰してみると円満な解決が生まれてくることがありますよね。そのことを改めて感じられたという意味で悲しかったですが有意義?な喧嘩でした。

それに関してちょっと思ったことなんですけれども、子供の頃は喧嘩した後、なんとなく謝っていつの間にか仲直りしたりしていましたが、大きくなるにつれてどんどん謝れなくなっていきますよね。あれはなんでなのかちょっと考えてみました。まず頑固になっていくということが考えられますね。自分の言っていることが正しいと盲信するようになっていくんだと思います。次に賢くなっていくということも考えられます。相手に何を言われても、「自分の言っていることはそれじゃないから」とか「それは実際は違うから」とか頭の中で色々考えてしまうということも考えられますね(こういう時は大抵屁理屈だとか言われてますます冷静さを欠いてしまったりしますよね笑)。またかっこつけするようになるということも考えられます。自分が間違っていると認めるのが恥ずかしいという思いが年とともに強くなっていくのだということも原因としてあると思います。個人的には3つ目の理由が最も大きいんじゃないかと考えていますが、そうだとすると大人ってなんてしょーもないんだっていう気持ちになってきますね笑。

謝りすぎは良くないと言われますが、日本語には謝罪のバリエーションが豊富にあることや、謝ることで逆に冷静になったりする事もあるということを思うと、謝れないよりも多少やりすぎなくらい謝ることはある程度近い関係においては必要なのかなと思ったりもしますね。ということで今回のブログは終わります。ここまで読んでくださった方、くだらない長文に付き合わせてしまい申し訳ありませんでした。

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