新3回生スタッフの長谷川笑美です。自分で書いておいてあれですが自分に「3回生」の肩書がつくのは何とも複雑な、妙な気持ちです。学部生ももうハーフオーバー、きっと例年新3回生は自然とそんな心持ちになってしまうのかなと思いました。
さて、本当は私がブログを上げなければならなかったのは3月11日(ごめんなさい)。東日本大震災からちょうど10年でした。私は福島県出身で言わば当事者なので、3.11は10年がたった今でも全く他人事ではありません。今でもあの時の非日常さはまざまざと思い出せます。避難した体育館で友達が大号泣していたこと、ガソリンスタンド前の大行列、大人たちのただならぬ雰囲気。当時一番怖かったのは(理解が追い付いていなかった)原発事故よりも断続的に続く余震で、次はもっと大きな地震が来るのではと気が休まらなかったのを覚えています。
私はよくぼんやりと「今わたしが唐突に死んでしまったらどうなるだろう」と考えます。原因としては、自然災害とか、大型トラックが急に飛び込んでくるとか、テロが起こるとか、通り魔に刺されるとか、飛行機が落ちてくるとか、心臓発作とかが多いです。幸い実際にはまだ死にかけたことはないので、それだけで実は結構幸運な人生を送ってきたのかなと思います。
時々こんな想定をする謎習慣がついたのは、よくよく思い返すと先に述べた3.11がきっかけなのかもしれません。自分にはどうしようもない理由で突如として人生が終わ(りかけ)る可能性は十分にあるのだと身をもって知り、脳裏に刻まれたせいなのでは?と10年目にして思い至りました(当てつけかも笑)。
この想定は、その時どのように自分の命を守るかの解決策探しという「これから」への視点ではなく、もう死ぬのだと諦めた時に自分の人生をどんな風に捉えるのかという「これまで」への視点からであるのが少しヘンな所です。
今のところ、この想定の先にあるのはいつも同じ流れです。
まず家族も、親戚も、友人も、そしてボート部の仲間たちも、きっと私の死を悲しむだろうなあと真っ先に思うことができて、そしてその時(もちろん決して死んではいないのだけれど)「ああ、これまで愛し愛されたいい人生だったな」と満足して、そして「いま死んでなくてよかったー」と日常に感謝してまた頑張ってこうと奮い立ちます。今後生きていく中でこの流れがどう変わるか、少し怖くも楽しみでもあります。
ここまでの話からも多少感じられると思うのですが、最近気づいたのは「周りの人に生かされている自分」です。ボート部に入って、主に選手を支える立場であるスタッフから部員と関わってきたことが気づいたきっかけとして大きい部分だと思います。周りの人についてもっと知りたい、知って欲しい、力になりたい、という思いが自分の中で大きな軸・生きがいになっているみたいです。大勢でいるよりはひとりで過ごす方が好きなタイプなので(思い込みなのか?)、意外な気持ちもあります。
新たな自分を知れたしまだまだ見つけられるだろうという点で、もっと理解したいと思う最高の仲間がたくさんできた点で、そしてこれからもきっと増えていくたくさんの人の繋がりにワクワクする点で、私は本当にボート部に入ってよかったなあと思います。だから私は、自分のためにも部のためにも、やっぱり新歓を頑張らなくちゃと思います。ここまで読んでくれた新入生がいたら感謝申し上げたいのでTwitterにDMください。もしくはイベント来てもらって直接話したいな。
新歓HPでないのでテーマは3.11でいこうかなと思いましたが、結局新歓じみた締めになってしまいました。この辺でおわります、ありがとうございました。