平成10年(1998)卒OBの水田泰と申します。現役時代は漕手で入部しましたが、1995年1月に発生した阪神大震災でしばらく休部した後、スタッフに転向。3回生と4回生は濃青と東大戦担当をやってました(今はマネージャーのことをスタッフと言うようになっています)。現役時代、我々の新人コーチだった木下さんが現在監督をやられているご縁で久々に合宿所にお邪魔させていただくようになり、新人勧誘やコミュニケーション周りをお手伝いしています。
さて、前置きが長くなりましたが、この度ホームページを大幅リニューアルいたしました!
という、いかにも借り物ホームページドメインから、
https://kyoto-univ-rowing.com/
という、オリジナリティあふれるかっちょいいドメインになりました!
容量も100Gに大幅増量(なんと千倍!)で、一般企業でもよく使われているワードプレスも導入し、みんなでウェブサイトを簡単に運用できる体制を構築しました。中身は新3回生の福澤くんと主務の青山くんが中心となって素晴らしいコンテンツを作り上げてくれました。ブログも順次こちらに移管し、情報発信のハブになっていけばと考えています。
思い起こせば、この懐かしいドメイン、Windows98が発売された1997年の第一次インターネットブーム期に、上田さんや奥野さんなど、私の一つ上の先輩方が立ち上げたドメインです。当時パソコン通信からインターネットの移行期にあたり、いわゆるインターネットプロバイダもどんどん設立されていました。滋賀県にも「びわネット」というプロバイダが立ち上がり、我々もブームに乗り遅れまいと新たな予算を編成。OBの守屋さんに色々教えていただきながら、HTMLを直接記述。「デジタル濃青」と題しサイトを立ち上げました。当時30万画素程度しかなかったにも関わらず超高価だったオリンパスのデジタルカメラを部費で購入。部の模様を滋賀から即時配信し、さらにシャープのザウルスまでも私費で購入し、これまた懐かしいIDSNグレーの公衆電話にモジュラージャックを差し込んで、OBの葉山さんに叱咤激励いただきながら、戸田から試合速報などをアップしていたのを昨日の様に思い出します。
それから早20年。インターネットは我々の想像をはるかに超えるスピードで進化し、当時流行していたポケベルは、今やスマートフォンというありとあらゆる電子デバイスを手のひらサイズに詰め込んだ魔法の箱になりました。今の子は電話やポケベルするために、合宿所の裏の公衆電話に並ぶこともなくなったみたいです(余談ですが、先輩の伊豫田さんが長電話でなかなか順番が回って来なかったことを何故か今でも鮮明に覚えています)。
この進化に追いつくべく、我らが「デジタル濃青」も20年の時を経て、スマホ、PC、タブレットにも対応し、容量を気にせず、年を経てもアーカイブがどんどん溜まっていく新たなプラットフォームにようやく生まれ変わりました。学生たちの熱い闘いと今も変わらない青春を、皆さまとシェアしていければ幸いです。
こういう使い方をしたい!というご要望があれば合宿所までご一報ください。
追伸:写真は僕ら現役時代のオッ盾クルーです。多分1995年です。